記憶に残したいこと   ※ボチボチと思い出しながら書き込みしよーと

Contents

01 本田宗一郎の宣言 1958年希望に夢を膨らませて社会への第一歩
02-1 南アフリカ雑感 1980年海外への夢を膨らませてアフリカの大地への第一歩
02-2 南ア思い出の写真集 1980年〜84年の間で8回、Total236日の思い出
03 歴史ある国イギリス 1985年BLとの交流プロジェクトで英国への第一歩
04 広大なアメリカ 1987年アメリカ大陸への第一歩
05 中国・台湾 1988年アジア大陸への第一歩 ※台湾一周16日間の旅
06 タイ・スケッチ集 1995年微笑みの国タイランドでの駐在生活
07 沖縄ドライブ旅行 年本土復帰30年目の沖縄を始めてレンタカードライブ
08 ヨーロッパ熟年旅行 ドイツ・ロマンチック街道・スイス・パリ・ロンドン熟年ツアー
09 タイ・チェンマイ旅行 3年ぶりの「微笑みの国」タイ・チェンマイ10日間の旅
10 伊勢国鈴鹿郡八十八箇所 「伊勢国鈴鹿郡八十八箇所」をチャ輪歩で巡拝
XX 四国八十八ヶ所 いつの日か?夢を抱いて同行二人お遍路へ・・・勉強中・・・

01       本田宗一郎の宣言


本田宗一郎は、終戦間もなく1946年(昭和21年)10月、浜松に本田技術研究所を開設、2年後の9月には本田技研工業株式会社として、後に世界的な名声を得ることになる"ホンダ”の第一歩を印した。機械に対する人一倍の好奇心と情熱、そして人間的魅力とが、良き協力者や従業員を得て、現在のホンダを築いたといえるだろう。そして本田宗一郎の骨子となっているもうひとつの重要なものが、レースだった。

1936年(昭和11年)6月に1周1・2kmの多摩スピードウェイ(多摩川河川敷に設けられたオーバルコース)で開催された"第一回自動車競走大会”に自ら改造を施したレーシングカー「浜松号」を駆って出場したほどの、筋金入りのレースマニアだったのだ。その本田宗一郎が1954年(昭和29年)3月20日付けで全社員に呼びかけた“マン島T・Tレース出場宣言”。

  私の思い出の一枚

私の思い出の一枚その有名な宣言から一部引用してみよう。

「私の幼き頃よりの夢は、自分で製作した自動車で全世界の自動車競争の覇者となることであった。然し、全世界の覇者となる前には、まず企業の安定、精密なる設備、優秀なる設計を要する事は勿論で、この点を主眼として専ら優秀な実用車を国内の需要者に提供することに努めてきたため、オートバイレースには全然力を注ぐ暇もなく今日に及んでいる。然し今回サンパウロ市に於ける国際オートレースの帰朝報告により、欧米諸国の実状をつぶさに知ることができた。私はかなり現実に拘泥せずに世界を見つめていたつもりであるが、やはり日本の現状に心をとらわれすぎていた事に気がついた。

今や世界はものすごいスピードで進歩しているのである。然し逆に、私年来の着想をもってすれば必ず勝てるという自信が昂然と湧き起こり、持前の斗志がこのままでは許さなくなった。絶対の自信を持てる生産態勢も完備した今、まさに好機至る!明年こそはT・Tレースに出場せんとの決意をここに固めたのである。(中略)全従業員諸君!本田技研の全力を結集して栄冠を勝ちとろう、本田技研の将来は一にかかって諸君の双肩にある。ほとばしる情熱を傾けて如何なる困苦にも耐え、緻密な作業研究に諸君自らの道を貫徹して欲しい。(中略)日本の機械工業の真価を問い、此れを全世界に誇示するまでにしなければならない。吾が本田技研の使命は日本産業の啓蒙にある。ここに私の決意を披歴し、T・Tレースに出場、優勝するために、精魂を傾けて創意工夫に努力することを諸君と共に誓う」(原文のまま)

昭和29年3月20日 本田技研工業(株) 社長 本田宗一郎

今や伝説となっている浅間火山オートバイレースが大々的に始まるのが、この宣言翌年のこと、まだそれすらも行われていない。そして、日本のオートバイが当時世界最高のレースとされていたマン島TTレースに初挑戦したのは’59年、もちろんそれはホンダだった。そのわずか2年後の’61年、ホンダはTTレースで圧勝を演じる。ホンダに続いてヤマハやスズキも世界GPに雄飛、日本製バイクはその優秀性でアッという間に欧米の既成勢力を駆逐してしまった。
★S34年大和工場入社68人の仲間達


S500/S600 は4輪車造りの原点
★S39年その職場、130人の仲間達 

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失敗を恐れず世界に挑戦し“ジャパニーズ・ドリーム”を実現した『ホンダ』-本田宗一郎語録


◆「三つの喜び」私は、吾が社のモットーとして「三つの喜び」を掲げてゐる。即ち三つの喜びとは、造って喜び、賣って喜び、買って喜ぶという三つである。(1951年12月のホンダ月報に初出された)


◆「成功は99%の失敗に支えられた1%である」
◆「なんでもその気になってやれば、人には負けない」
◆「世界を目指すのならば世界最高の工作機械をもって世界最高の製品をつくろう」
◆「同じ苦労をするなら、先に苦労しろ」
◆「資源のない国の人間が削り屑を出すような仕事をするな。苦労は前工程でやれ後工程の加工が要らなけりゃ、資源の無駄がなくなる。ここで精度が出せれば、そのための時間も人手も機械も要らないじゃないか」


◆「お客さんに迷惑をかけるようなものをつくるな!」
◆「モノをつくる時には、それと一番長いこと付き合わなきゃならない人のことを考えろ」
◆「なんだかんだいいながらも、若い連中が私についてきてくれたのは、 この「おお、すまなんだ」の一言と顔にも出る「すまん」という気持ちを 素直に受けとってくれたからだと思っている。」
◆「オレは士気を鼓舞するなんて気じゃない。自分が嬉しいからやるんだ。オレは社長を辞めて、やっと人間らしいものにいきあったよ。」
◆「人生、失敗なんていくらでもある。いいと思ったことをやって、しくじったのは無駄にならん。これじゃイケネエんだってことがわかっただけでも、儲け物なんだぞー」


◆「能率とはプライベートの生活をエンジョイするために、時間を酷使することである」
◆「良品に国境はありません。一度優秀な外国製品が輸入される時、日本だけの日本一はたちまち崩れ去ってしまいます。世界一であって始めて日本一と成り得るのです。」
◆「環境がよくなけりゃ、働く意欲も落ちる。汚い工場からいい製品は生まれない。だから、作業衣は白がいいんだ白は汚れが目立つ。それができるだけ汚れないように、きれいな工場にしなきゃいけないんだ」
◆「100%を目指したんじゃあ、人間のすることだから、1%やそこいらのミスをする。その1%を買ったお客さんには、ホンダは100%の不良品をお売りしたことになってしまう。だからミスを無くすために120%を目指さなければなら  ないんだ。」
◆「人はよく、かわいいからこそ怒るなんて言うが、おれはそうじゃない。その時はほんとに憎たらしくなる。なぜならおれたちのつくる商品は人命にかかわるものなんだ。それをないがしろにする人間は絶対に許せない」


◆「大衆の気持を察し、大衆が喜び、大衆が愛する製品をつくる会社だけが、大衆に愛され、繁栄するだろう」
◆「真にお客さまに対するサービスの精神、すなわち、従業員としての徳義心を持っているならば、どのように苦心をしてでも工夫をし、改善して、お客様の満足を得るはずだ」
◆「自戒-工業的道義心」「私は、技術者は大衆が求め大衆に役立つよい品を、安価に製造し、技術を通じて世の中に貢献することに努めねばならぬと、自ら戒め、自ら励ますものであります」
◆「私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか1%にすぎないということも言っておきたい。99%は失敗の連続であった。そしてその実を結んだ1%の成功が現在の私である」
◆「われわれの最も必要とするものは、金でもなければ機械でもない。一番必要なものは弾力性のある見方、物の考え方であり、アイデアである。」


◆「アイデアは人間である。すぐれたアイデアはすぐれた人間から生まれる。」
◆「同時に物を作ったりする場合は、一つの方法だけでなく他の方法 も考えてみることだ。」
◆「絶えず広い視野を持つように平素から心掛け、他人の言などにもプラスになるものを学びとることだ。」 
◆「コチコチの石頭からは、アイデアなど期待できるわけがない。石頭の人は、早く自己改造する必要がある。コチコチの石頭は、まずこの石頭自体からぶち壊さねばならないが、普通程度のものならそう悲観することはない。」 
◆「私は、サルが新しい木登り技術を学ぶために、ある「試み」をして落ちるなら、これは尊い経験として大いに奨励したい。」 


◆「失敗は、その1歩の踏み込みだと思う。前進への足跡だと思う。」
◆「ホンダの製品は、あくまでも親切であれ」
◆「私は人一倍ケガには強いタチなんでしょうね。古い傷跡は50年以上たっているけど、それらの傷跡は私にとってはみな”宝物”なんです。」
◆「創意工夫は、苦しまぎれの知恵である」「常識は破るためにある」
◆「苦しい時もある。夜眠れぬこともあるだろう。どうしても壁は突き破れなくて、俺はダメな人間だと劣等感にさいなまれるかもしれない。私自身、その繰り返しだった」


◆「私が研究所で黒くなって働いていると、世の中の人は陣頭指揮だといった。これは間違っている。自分が好きだからやっただけである。」
◆「勇気というのは、強いからとか、勇ましいから、勇気があるというのではない。たとえ、自分にとってどんなに不利な結果になろうとも、自分が真実であり、妥当であると考えたことを認め、それに賛成することこそが勇気である  ・・・勇気とは、その理想や目標を通して表れるものである。」
◆「」    


「お礼の会」「素晴しい人生を送ることができたのもお客さま、お取引の皆さん、社会の皆さん、そして従業員の皆さんのおかげである。おれが死んだら、世界中の新聞に『ありがとうございました』という感謝の気持を掲載してほ  しい」
          1991.8.5 永眠 84歳

   

 平成12年12月“プロジェクトXHM”卒業式


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