私の部屋 南アフリカ雑感
 日本からインド洋を一直線に横断して22時間余の空の旅を終え、南アフリカの玄関ヨハネスブルグに向かって機首が降り始めると、下には果てしない草原と背の低い潅木類そして赤茶色の大地が延々と続き、その彼方に空を突き刺すように立ち並ぶ高層ビル、白く幾重にも交差するハイウエイ、緑に包まれた丘の上の住宅群、眼下いっぱいに広がる近代都市のたたずまいが大変な長旅と7時間の時差ボケの私の目を奪った。1980年11月28日、近代的で清潔なヤンスマッツ空港に降り立ったとき、野生の国アフリカのイメージを抱いてやってきた私は超近代的な第一印象に驚かされた。

南アフリカの総面積は約120万平方キロあり、日本(37万平方キロ)の約3.3倍にあたる。国土の大部分が温帯圏にあり同じアフリカといっても北端の一部熱帯圏を除き温暖な気候に恵まれている。南半球のため四季は日本の逆ですが夏季平均22℃冬季平均11℃と大変に過ごしやすい国です。その広い国土に総人口2200万人の典型的な多人種国家を築いており人口構成は大別して4グループにわかれ白人17%、カラード(混血)10%、インド・マレー系3%、バンツー族(黒人)70%となっている。日本人の地位はオノラリーホワイト(名誉白人)で日常生活において不便を感じることはありません。


 この国の政治、経済、役人はすべて白人が占めておりバンツー族インド・マレー系黒人は肉体労働が主で白人との貧富の差は極端に大きい。特質すべきことはアパルトヘイトと呼ばれる人種分離政策で建国以来の歴史的事情から生まれた非常に複雑な問題となっている。公用語は英語が広く通用しているがオランダ語から派生したアフリカーンスという言語もオランダ系市民の間に定着しており新聞、ラジオ、広告、道路標識に至るまですべてに両言語が併用され一民族一言語の中で育った者には奇妙に受け取れる。
(注追記:1991年のアパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃と94年の民主政権の発足により、南アフリカは、対話による人種対立解決と融和の象徴の国とされている。

全世界の74%の産出量をほこる金、ダイヤモンドをバックにしたこの国の富裕さは広大な国土を縦横に走る道路網にも見ることができる。アメリカ、カナダに次いで世界第3位の規模を誇る南アフリカの道路は全長32万キロで、そのうち28万キロは舗装され東名高速並みの道路が各都市間を延々と結ばれている。これらは全て無料のうえ貨物は原則として鉄道輸送によると規定されているのでトラックは少なく車の流れは実にスムーズです。

南アフリカの表玄関ヨハネスブルグは経済都市で海抜1800mの高原地帯のまっただ中に1886年世界最大の金鉱脈発見でできた金鉱の町が、ゴールドラッシュとともに急激発展を遂げたもので町の周囲にそびえるボタ山群が昔の面影をしのばせてくれる。

南アフリカ行政府の首都プレトリアは、海抜1,400mの高原にある都市でヨハネスブルグからは60キロ。サバンナの中を一直線に切りひらいたすばらしいハイウエイをガンガン飛ばし40分ほどで到着します。街路樹が多く優雅な所で、折から全市が日本の桜に似た藤色の花を咲かせるジャカランダが一斉に咲き素晴しい景観でした。


南アフリカ観光局HP ジャカランダcityの愛称のあるプレトリア

南アフリカの思い出写真集 その-1へどうぞ!

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