年金で行ける!  海外リゾート生活術 アジア編
 
タイでゴルフを覚えてプロライセンスを取得!
 
バンコク門平等さん 純子さん

駐在員時代に人間関係を築く

 タイの長期滞在者の特徴のひとつに、かって日系企業でタイに勤務していた経験がある人が多いことがあげられる。門平さんもホンダで計二回、延べ十年以上をタイですごした経験を持っている。
「入社以来、ずっと製造畑で歩いてきたんですが、とくに海外生産拠点に工場立上げ要員として赴任することが多かったんです。タイ以外でも、インドネシア、マレーシア、シリア、ペルーにも長期滞在しました」

これらの国々をさしおいてタイを選んだ門平さんだが、それは二回の駐在経験が大きいという。
「やっぱり現地の友人が大きいのではないでしょうか。駐在時に出来た人間関係ですね。私はタイ人の友人がたくさんいますから、こうやって安心して滞在できるんです」


 門平さんによれば、ホンダでも退職後に移住する場合は、駐在経験のある国を選ぶ人が多いそうだ。
「でも、タイは仏教国ですから、ほかの国と比べると日本との共通項が多いと思います。海外在住経験がまったくない、という人でも、ここなら抵抗無く生活できるのではないでしょうか」

ところで、タイで使われているタイ語は、日本人にとっては非常に難解に見える。これがネックになってタイを避ける傾向があるようだ。

「たとえば夫婦おふたりなら言葉は障害にならないと思います。英語もある程度通じますし、日本語を理解するタイ人も多いですから」


もちろん、タイ語ができることに越したことはないが、コスモポリタンの多いバンコクには、実に多くの外国人が暮らしており、自国語とちょっとの英語だけで何年も生活している人も珍しくない。
また、日本で何かあったらすぐに帰国できる距離にあるという地理的なメリットも大きい。

「私たちには子供がいないんで、夫婦でのんびり滞在していますが、自宅はまだ日本に残していますし、親戚もいます。でも、飛行機で六時間の距離ですから、いつでも気軽に行き来できるのがいいですね」
という門平さんだが、実はタイを選んだいちばんの理由は、「ゴルフ」だったのだ。門平さんはタイ駐在中にゴルフを覚えた。当時は30代半ばだったが、その魅力に急速にひきつけられていく。

「ジャンボ尾崎とおない年なんですが、彼も私も四国出身なんです。彼の活躍を見るにつけ、自分にもできるんじゃないか、と」
そこで考えたのが、タイのシニアプロ。ゴルフ天国のタイで、プロ入りをめざすことを本気で考えはじめたのだという。ちなみに、始めて間もなくハンディは18に。一年半後には10になり、四年後の帰国時には5にまでなっていた。サラリーマン・ゴルファーとしては驚くほどの上達ぶりだ。

第二、第三のタイガー・ウッズを育てる

1992〜98年、アユタヤの四輪工場立上げのために駐在したのを最後に、いったんタイを去った門平さんは、99年に55歳でホンダを退職、すぐに奥さんの純子さんといっしょにタイにやってきた。
「まず、アマチュア資格でトーナメントに二、三回出まして、2001年にプロテストに一発で合格しました。それからは、タイのプロとして活動しています」
現在は、週三回、バンコク市内の練習場で駐在員やその奥さんを対象にしたレッスンを開催しているほか、トーナメントがあればそれに出場している。
「80年代には、タイでゴルフができる人は、大企業の部長級以上でした。それが90年代後半、タイガー・ウッズの登場で、ゴルフブームが訪れたのです」

 タイガー・ウッズは、母親がタイ人。それが火つけ役となって、ゴルフは現地で急速にポピュラーになったのだそうだ。そこで門平さんは、日本人相手のレッスンや自身のトーナメント出場だけでなく、第二、第三のタイガーを育てようと決心する。タイの若者二名を、いまプロにしようと教育しているのだ。

「テープ君、タック君で、二人ともまだ16歳。彼らをタイのプロ候補として養成しているんです」門平さんは、彼らがタイのトッププロとして活躍する姿を、すでに頭に思い描いているのかもしれない。門平さんの住まいは日本人が多いスクンビット通りのソイ23。アパートの一室で180平方メートルの広さがあり、家賃は月二万五千バーツ(七万円)だ。「レッスンのある日以外は、妻と一緒にコースを回ったり、家でのんびりしたりしています。私はまだ年金生活者ではないですが、63歳から年金が出る。それも加えれば、お金の問題はまったくないですね」

門平さんはゴルフのレッスン会社で月14万バーツ(39万2000円)の収入があり、これで社員9人と家族を養っている。門平さんはホンダ時代の同僚にも、退職後はタイで暮らすことを勧めている。

「同僚ももう何人もタイに来ましたが、彼らは大きくふたつのタイプに分けられます。ひとつは、日本に居を置きながらタイに長期滞在し、ここでゴルフ三昧の日々を送る"往復型"、もうひとつが、ホンダと取引のあったメーカーなどで働きながらタイに長期滞在する"現地採用型"です」

年金だけで何もせずに悠々と暮らすのもいいが、身体が動く限り、なんらかの仕事をしないのはもったいない。とくに門平さんの同僚はエンジニアばかりなので、持っている技術や経験をまだまだ活かしたいと、タイ企業で働きながら長期滞在する人も多いそうだ。

「働いて得るお金は微々たるものかもしれませんが、退職金や年金もあるわけですから、生活には不自由しませんよ。それに、まだ自分が必要とされているという充実感もあるし」
そういう彼らも、休日にはみんなゴルフに走る。

「私のゴルフ生徒にも、60歳以上の長期滞在者の人が何人もいますよ。彼らの平均像は、夫婦ふたりで年金が30万円というところでしょうか」
定年後、夫婦で楽しむのにゴルフほど適しているものはないという。

「定年後の充実した余生のために、50代、いやもっと若い人もゴルフを練習しておきなさい、と私は説いているんですよ。そうすれば、タイでの生活が生き生きと輝いてくるはずですから」
日本の長期滞在者へのレッスンとともに若いゴルファー養成---。この国で覚えさせてもらったゴルフを、今度は次の人に伝えていく。ゴルフの普及に対する門平さんの熱い心は、この熱帯の国でますますヒートアップしているようだ。


※1945年高知県生まれ。本田技研工業に勤務し、
 タイなどで海外工場の立ち上げに従事。
同社を退職後、 1999年にバンコクに移住する。