読物の部屋その8
★読書録 (1)★     ーーー2/4 徳淵 誠 記

人事部人材開発センタ室長、宮本さんから酒詰部長がライフプランセミナの冒頭講話定 年の心得についての社内講師をやるようにと言っている。御殿場に行って社外講師の話 を2、3回聞いてきて、勉強もして自分なりのシラバスをつくり、9月からやって下さ い。との話があった。それで自分なりにまとめた120分の話の内容を箇条書きでメモ してそれを見ながら青山本社の4階の窓のない部屋(年金ル−ム)で、山崎さん、斎藤 さんを前に予行演習をした上で本番に臨んだ。例えば4輪操舵で有名な技術研究所の佐 野さんご夫妻が最前列に並んで座って神妙(にみえた)に話を静聴しているのを含めて 毎回約25組の定年を控えたご夫妻を前に老人とは・・・と話始めた。10回ぐらい興 行した。いろいろ話すトピックスの中に読書もいいですヨというのがあった。そのなか で、私は司馬遼太郎さんの作品は定年後に取ってありますと喋った。

そして定年がやってきた。丁度そのころ家内の友達から司馬遼太郎の文庫本が買い物袋 2杯分、菜の花の沖、峠、竜馬がゆく、坂の上の雲、燃えよ剣、韃靼疾風録などなどが 送られてきた。2、3ケ月してから、「坂の上の雲」を書棚から取り出し読みはじめた 。面白い。日清・日露戦争を題材に秋山兄弟の事跡を書いた作品である。青山近くの乃 木坂、乃木神社に祭られている乃木さんの逸話もあるし、当時の日本人がロシアを含め た西洋人(昔は毛唐といった)を負かした話など、日本人であることの幸せの源泉を感 じさせてくれた。伊勢神宮をはじめ、日本のこれまでのいいところについて記憶からす っぽり抜けている部分について、その記憶を補間してくれる本である。終戦後(敗戦後 がユ−フェニズムを取り除いた用語)教師に教科書の一部分に墨を塗らされました。そ の我々の世代のために司馬さんが書いてくれた本である。

話は前後するが、司馬さんがNHK出版から出した「明治という国家」を定年前に読ん でいる。その中で江戸幕府高級官僚の小栗上野介が出てくる。彼の肖像写真が巻頭にあ る。なんと、なんと最近管理職になった人材開発センタの小栗さんにそっくりである。 頭のハゲ具合、etc.ほんとにそっくりである。この本のコピ−数ペ−ジを小栗さん に渡して読んでもらった。彼のコメントは、昔は逆賊ということで近い祖先はつらい目 にも会い、頭を低くして生きてきたが、司馬さんのおかげでよく評価され、親戚も喜ん でいます。
もう一人の江戸幕府の高級官僚、勝海舟は日本という立場で物事を考えた。小栗上野介 は江戸幕府を存続させることを懸命に考えた。具体的にどうすればよいかを文書にして 徳川慶喜将軍に提出したが、将軍からケッチンをくらって、結果的に勝海舟の主張する 江戸城無血開城となった。新しくできた明治政府は、こんな人を生かしておいたら、ま たどんな事をするかわからない。死んでもらいましょう。ということになった。明治政 府から正式に死刑にされたのは小栗さんの祖先の小栗上野介ただ一人であったと司馬さ んはこの本の中で書いている。

そういう訳で、定年後約一年になる今は司馬さんの作品にドップリつかって、正しい日 本人になるよう励んでおります。今日も、2ツの買い物袋に入ってなかった翔ぶが如く 10巻の文庫本を買ってきました。これから数日、起きている間、寝床に入っている間 、司馬本を楽しみます。

ついでの話。昨年12月屋久島からの帰り、鹿児島市中心部を歩いてまわった。西郷さ んの銅像は中央公民館を隔てて大きな鯉のいる水の流れの上に立っている。古びていた 。西南戦争の終わりに「晋どん、晋どん、もうよかろう」といって切腹したという。一 方、明治政府の高級官僚となった大久保利道の銅像は西鹿児島駅に近く、甲突川畔の高 見橋際にある。最近建てられたものらしい。遠眼であるがピカピカのようであった。地 元の評判は西郷さん一辺倒である。子供の頃は一緒に遊んだお二人だが、高級官僚とし て洋行した大久保さんと、高級官僚ではあったが洋行をせず辞して地元に殉じた西郷ど んとの違いを実感した。我々お互い洋行したが、役所に勤めなくてよかったですネ。

★読書録 (2)★

先日、本田財団の定例懇談会に聴衆として出席した。東工大の先生の”複雑性”と題す るお話しであった。先生は本田賞受賞のプリゴジンの弟子で、話の内容は一見無秩序に みえる原子、分子の振る舞いもある見地からとらえると、規則性が見えてくるというも のである。時間の不可逆性、エントロピ−などの術語がポンポン出てくるいかにも学者 (いい意味での)らしい話しぶりで、話の前半はどうやらついていけたが、後半はチン プンカンプンであった。講演が終わって、では”先生にご質問はありますが”と司会者 の中村さんが言うと、会場がシ−ンとしてしまった。誰も質問しないのも先生に失礼と 思い、閉じた系のなかで秩序のあるものは時間がたつと無秩序になる。時間を逆戻りさ せても同じであると述べられましたが、時間を過去に遡れば頼朝、秀吉、家康−−−と 決まっているではないでしょうかと質問した。先生は懇切丁寧に答えてくれた。しかし 、答えの内容はよく理解できなかった。

先生の講演が終わった後、恒例により立食パ−ティになった。さすがパレスホテルであ る。出される料理だけをお目当てに会に出席される方もいるほどである。田中さんと言 う方が、ツツと寄ってきて、過去から今をみれば、確かに決まっていますが、現在から 秒を刻んで遡れば確かに誰も分からないということを先生はおっしゃたのでしょうネと 総括してくれた。

この会社はすごい人のいる会社である。田中さんはソフト研から今は企業プロジェクト の未来研に移っていますと自己紹介した。ちょっとしたハップニングがあった。誰かが オメエ話がわかってて質問したのかヨとポンと肩を叩いたら、振り向いたのは質問した 人ではなく先生であったという。

時間、エントロピ−など世の中の動き方について解説する本に関心を持ったのは、ノバ −ト・ウィナ−の「人間機械論」(みすず書房刊)を読んでからである。書名の邦題は 原タイトル"The Human Use of Human Beings" を適切に翻訳していない。ノバ−ト・ウ ィナ−は”サイバネテックス”を数式を沢山いれた形で1948年に出版した。

第2版の邦訳は1962年岩波書店から発行されている。その第13刷を関口長さん主 催の小生ベルギ−駐在の送別会で新井さんからもらった。ウィナ−は「サイバネティク ス」の内容を素人にも分かるように書いたのが「人間機械論」であるとあとで知った。 これを読んで、世の中「時の流れに身をまかせてエ」と台湾の女性歌手のうたう様にし ていると、放らつになっていくことを学んだ。時の流れ、つまり時間は相対的であるこ とは東工大の別の先生の書かれた「ゾウの時間、ネズミの時間」(中央新書)を読むと よく分かる。エントロピ−についてはリフキンさんの「エントロピ−の法則」が分かり やすい。よく意思入れが大切とウチの会社で言う。成り行きでは成るものも成らない。 このあたりの原則を述べているのが渡辺彗さんの岩波新書「認識とパタ−ン」である。 彼は醜いアヒルの子の定理と称して意思入れをする、つまり当事者が価値判断をしない とすべてのものが同じであるという事を数学的に説明している。だからというと我田引 水になるがエントロピ−を低める、つまり秩序をより高めるには意思入れが大切と(当 たり前の話と思う方もあろうが)思うようになっている。当たり前の話というのはキチ ンと第三者に論理的に説明できなければそれを言う人の我田引水(なにしろ小生農業専 攻なもので)として笑い話にされてしまう。

複雑系の話に戻る。サンタフェ研究所について書いた新潮社の本がよく売れている。買 って半分くらい読んだ。複雑系についてゴッタ煮的に書いてある。世の中の動きについ てどういう切り口でセめるかを書いている。昔デカルトというフランス人が「方法叙説 」(岩波文庫)を出版した。とにかく玉葱の皮をむくように一枚一枚剥がして論理的に 物事の核心にせまっていけがよいとしている。サルも玉葱の皮を剥いたが、剥いても剥 いても皮がでてきて目を白黒させたという。人間のする分析手法として今やっと総合的 方法にひのめが当たったと思われる。デカルトの本は竹内均東大名誉教授がその解説本 を書いている(確か学生社文庫)。

新潮社本以下数冊の本が出て、トレンディになっているが要するに複雑系つまり世の中 をそのまま虚心にみてみようというのである。ここで本田財団で講演された東工大の先 生のシメの言葉を引用する。今私の話した原子・分子の事象を単純に世の中の複雑系に 当てはめることは出来ません。

★読書録 (3)★

オランダのベルギ−国境に近い町に、普通の家の居間をそこに住む主婦と共に写した写 真のファイルがあって、そのファイルの中から気に入った主婦の電話番号を教えてくれ るサ−ビスがあった。この記事にはサ−ビスの住所が確か電話番号入りで紹介されてい た。今から20数年前ベルギ−駐在の頃である。マツダの現地販社の社長はそうなんで すヨとニヤニヤしていた。ファイルからヨランダさんを選んで・・・。言葉の問題があ ったように記憶しているが、その後はすっかり記憶から抜けている。

スエ−デンの人がハンブルグの富くじで邦貨1億円の賞に当たりウハウハの生活をして いるという記事があった。早速調べてそのクジを買った。毎週抽選がある。現在では一 等賞金3億円である。2本に1本は当たるというのがウリである。20年以上参加して いるがまだ当たらない。クジは過去を記憶していない。つまりいつ参加しても、その時 から勝負が始まるとは知っていても、ついつい次回の申込みをして現在に至っている。 当選の通知があったらファ−ストクラスでハンブルグに行くつもりである。

オランダの主婦、ハンブルグの富くじ共に週刊誌TIMEを定期講読しているお陰で知 りえたことである。長期講読すると安くなるので西暦2000年の9月まで毎週配達してもらえるようにしている。

いろいろコラムがある。お気に入りは「ピ−プル」コラムである。まず見出しが面白い 。駄洒落の連続。例えば1997年7月7日号にはダイアナ妃の着物のクリスティ−ズ オ−クションを伝えている。見出しはGoing,Going,Gowns 。ヤボを承知でいうとセリに かける時、セリ人は going, going ... といって値を吊り上げて行く。落札すると gon e!といって槌をドカンとたたく。見出しはこのgoneとセリにかけられたダイアナ妃のGO WNS を駄洒落でかけている。$22,500.-でセリおとされたガウンもあるということがわ かる。有名人のちょっとしたエピソ−ドを見事に切り取った記事を見出しの駄洒落付で 読めるコラムである。

野茂投手は表紙を飾った特集記事で紹介された。この時はその記事の日本語訳がサ−ビ スでついていた。この様にTIMEは地域の読者にサ−ビスしているが、基本的には、 アメリカン ユダヤのジャ−ナリズムで、投書欄をみれば、一目瞭然。アジア版でも殆 んどアメリカ人の投書である。ただ読者サ−ビスは行き届いていて、いつだったかホン ダの記事についてコメントを送ったら丁重な返事が返ってきた。日本特集も数回行って おり、その時、その時の日本についてタイミングよく世界に伝えている。「高齢化する 日本」という特集は御殿場ライフプランセミナ−でつかわせてもらった。最近の日本特 集も日本語に訳されて単行本として出版されている(プレジデント社)。テキストは独 特の文体なので、非常にとっつきにくい。JAPAN TIMESの英語はなんとなく ミソ、ショ−ユの匂いがするが、TIMEの英語は本物であろう。JAPAN TIM ESに三行広告を出して、こちらは日本語を教えるから、そちらはTIMEの読み方を 教えて下さいと教養ある在日英米人に呼び掛けようとしています。週一回でどうですか 。どなたか紹介して頂けませんか。広告代が省けます。

アメリカのクオリティペ−パはワシントンポスト、ニュ−ヨ−クタイムズ、ロサンゼル スタイムズなど、これらはいずれも地方紙で、例えばアラバマ州の住民は自分のところ の地方紙をとっている。全国をカバ−しているクオリティ−ペ−パはない。

日本ではご承知の通り、朝日、毎日、読売の全国紙が一千万部以上、一応クオリティ− ペ−パとして存在している。失楽園を連載した日本経済新聞はクオリティペ−パではな い。失楽園を載せたからそうでないという訳ではない。日経は経済専門紙である。話は それるが、日経さんの名誉になろうかと思うので一言付け加えたい。日本経済新聞社系 の日、週、月刊紙誌を読んで気に入っている事が一つある。記事の文体。日本語ビジネ ス文書の文体のお手本として最高です。賛同される読者は多いと思う。

ではアメリカではどうか? リ−ダ−ズダイジェスト、TIME、NEWSWEEK、 サタディ・イブニング・ポスト(今はどうか知らない)など週月刊誌がその役を果たし ている。従って、アメリカのことを知りたければこれらを読めばよいということになる 。リ−ダ−ズダイジェストは記事がチョット古いし、ニュ−ズウイ−クは日本語版でも でていて英語も国際的だし、サタディ−・イブニング・ポストは入手困難だし、高いし (もしかして廃刊されている?)となるとTIMEだけとなる。渡部昇一さんによると 、米国版のTIMEとアジア版のTIMEとでは記事内容が相当異なっているというこ とだ。彼の著書「知的生活の方法」で勧めているTIMEの読み方は記事全部を読まな くてもよい。自分の好きなコラム何か一つを毎週読んでいるとその人の知的財産となる と説いている。非常にいやらしい題名の本でいやらしい云い方をしているが参考にはな る。

学生時代はTIMEの英語の文章はむずかしく全然歯が立たなかったが、今ではどうや らななめ読みができるようになった。ななめ読みで、内容概要は分かり、駄洒落ぐらい はどうやらニヤリとできるものの、英米人には常識と思われる古典などを下敷きにした 文章が多くあるようで、小生にとってはまだまだ楽しく勉強するための教材である。

★読書録 (4)★

13年位前のある日どうしようもなくむなしい心境となった。

毎日、会社に出勤してはいるが、それだけ?と思った。丁度その頃週刊朝日でサラリ− マンが行くならこんな店という特集があった。その記事の切抜きをカバンに入れて持ち 歩いていた。ある日の夕方決心して西麻布交差点近くの地中海通りにあるショットバ− (店名でもある)に行くことにした。特集記事の紹介によれば、村上春樹さんの店だと いうので決めた。この店は今もある。リカ−ルの氷水わりを飲みながら店のバ−テンに 聞いた話によると、村上さんが以前経営していた店の従業員が始めた店で、村上さんは メッタに来ないとのことであった。小生の悪癖西麻布−六本木夜中の徘徊の始まりとな った記念すべき店である。

なにを隠そう、小生は村上さんのエッセイの大ファンである。彼の小説は「ダンス・ダ ンス」、「ノルウエイの森」など殆んどすべて書棚に置いてあるが、読了したのは「国 境の南、太陽の西」だけである。これは村上版の失楽園である。チョッとちがうかナ。 読んでご判断下さい。彼のエッセイはまず「村上朝日堂」シリ−ズ。10冊近くでてい る。JR中央線国分寺駅近くの線路の枕木に夫婦そろって頭を並べて横になりハミング していたという話、「わりと変な一日」という話、行きつけの床屋を決めている話(小 生自身はこの20年床屋に行っていない)、昼間ス−パ−マ−ケットに行って好きなト−フを買ってレジに並んだらバ−ゲンのタンポンを籠一杯に詰め込んだ主婦2人に挟ま れて睨まれてドギマギした話など。最近では、主婦の中には裸で料理をしている人がい る。ウソ、ホント?!という話まである。安西水丸さんのヘタウマ イラストを添えて軽 快に書いている。朝日新聞のインタ−ネットホ−ムペ−ジの中にも常設の村上朝日堂の ペ−ジがある。軽妙な語り口で、どうでもいいようなよしなし事なのだがチョッと気に なることがあるんですよネと村上さんは書いている。読む方は、村上さんの表現を借り ていうとフムフムなるほどと村上ワ−ルドに入って行く。そして読書の至福を味わう。

村上さんのエッセイにはもう一つ別のジャンルがある。旅行記、滞在記。代表作は「遠 い太鼓」(講談社刊)。ギリシャに行って「ノルウエイの森」を書きあげた3年間を綴 っている。車の免許をとり、イタリヤ車に乗って走りまわる話、ギリシャのアパ−トを 借りる顛末、そのアパ−トで魚を焼くとどうなるかという話 etc 500ペ−ジに 近い大作です。彼はそのあとアメリカ東海岸(プリンストンとボストン)に滞在して大 学生に日本文学の講義をしながら小説を書いている。その間のあれこれを2冊の滞在記 にまとめている。アメリカの東海岸の人々が西海岸の人々とどうちがうかを西海岸に行 って実感したこと、アメリカでの交渉事のわずらわしさ、英語で苦労したこと、ニュ− ヨ−クまで車で行ってジャズコンサ−トを聴いたこと etc をこれまた軽妙な村上 文体で綴っているスグレ本2冊である。

村上さんは最近地下鉄サリン事件の被害者のインタビュ−本の大冊(これもエッセイ本 の一つか)を出版した。彼へのお願いは出身地である神戸の少年Aの事件についても書 いてもらいたい。その中で是非書いてもらいたいのはA少年の父親には「先例にならっ ていただきましょう」。私がいうときついブラックユ−モアというか、あまりにストレ −トな表現となってしまうが、村上流に処理すればどうなるか・・・・。次に出るであ ろう村上エッセイ本が楽しみである。村上さんにとってはとても迷惑な話であろう事は 重々承知の上です。そのあとはまたいつもの村上朝日堂のすてきな世界に戻ってきて下 さい。

早稲田大学文学部演劇科出身の彼は、他にも現代英文作家(例えばスコット・フィッツ ジェラルド)の翻訳本を数多く出しているが、こちらも彼の小説同様ほとんど読んでい ない。村上さん失礼いたしました。

★読書録 (5)★


パリの東京三菱銀行支店、つまりオペラ座通り中程から少し入った路地に「伊勢」とい う日本料理店があった(今でもあるだろう事はパリのルクサンブ−ル公園のそばのアト リエに住む元上司の鎮目さんにきけば分かるのだが確認の電話代を今回は節約します。 なにしろ年金生活者なもので)。店名のとうり、伊勢海老のいろんな料理が口舌を楽し ませてくれる。5、6人座れるカウンタ−があり、ここに座ると目の前で板前さんの包 丁さばきが目で楽しめる。

このカウンタ−席に鎮目さんが一夕家内と共に一席設けてくれた。6、7年前ISOの 会議かなにかでパリに久し振りに行った時である。相席のとなりの人をみると、なんと 椎名誠さんである。あの筋肉モリモリなのに柔和な微笑をうかべて向こうとなりの人と 談笑していた。名刺を交換すると読売広告の人でいわゆる椎名ドレイの一人であった。 こちらは店に入る前から酒を飲んでいて、伊勢海老料理と共にまた飲んだのでグデング デン一歩手前まででき上っていた。日頃椎名作品の数々を読んでいたので、椎名さんの 肩だか膝だかをオイオイとつつき、作品を日頃読ませてもらっておりますとか何とかグ ダグダいい始めた。家内が心配して「主人が酔っぱらっているもんですいません」とそ の場をとりつくろっていたのはかすかに覚えている。筋肉もりもりで喧嘩の達人である 椎名さんの事だからコノヤロウと一発くらっても不自然ではない状況ではあったが、な んとかその場は収まった(とあとで家内からきかされた)。椎名さんは悠然としていて 、イインデスヨといってくれたという。これでますます椎名作品が好きになった。

彼の作品の中にはSF小説もあるが、大部分を占めているのがいわゆるス−パ−エッセ イである。高校を卒業したあたりから、わに眼のヘタウマ画家の沢野ひとし、弁護士と なる木村晋介などと総武沿線の駅の近くの安アパ−トで青春のシュトルム ウント ド ランクの集団生活をしてその中から作家椎名誠が誕生した。

名前が同じだから言う訳ではないが(言うのだが!)、真の日本人男性作家椎名誠が誕 生した。奥さんは渡辺一枝という保母さん上がりの人で残念ながら共産党系の人らしい 。彼は奥さんにすすめられて(であろう)コチコチの化石的な進歩的文化人の標本であ る久野収さんなどと共に「週刊金曜日」に代表編集人として名を連ねているが、これは 彼の本意ではないと思いたい。

ともかくその男どもの共同生活から生じる「オモシロカナシズム」を活写していく筆力 はものすごい。彼流にいうとワシワシ書いていく。その勢いで数年前朝日新聞に「銀座 のカラス」、週刊朝日に「本の雑誌血風録」を連載した。今は年のせいもあって多少( ?)おちついて、週刊文春に新宿赤マントという常設コラムをもち、ここ6、7年そこ で健筆をふるっている(この8月で連載 364回)。もちろん6、7冊の単行本にな っている。最新刊は、「ギョ−ザのような月がでた」。

先程椎名ドレイと書いたが、これは椎名さん、目黒さんが始めた本の雑誌社に雑誌の配送をする学生アルバイトとして雇われた人々のことをいう。女性事務員として雇われたが、あまり仕事がないので編み物に専念していたのが、エッセイストの群ようこさんである。現在は皆さんヒトカドの人物となっている。椎名さん以下の面々と時々集まって浜で焚き火を囲みビ−ルを飲みながら魚を食ってドンチャン騒ぎをやっているらしい。 これも彼がその様子を活写してくれるから想像できることである。他に小説本も数多く 出し続けている。長年の趣味をいかして映画も何本か制作している。

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