読物の部屋その6
★本田車の遺伝子の突然変異★
 国内本田四輪の10年サイクルを考える---1999年1月9日横山昭允記

10年毎の本田四輪サイクルで、常にホンダは過去のしらがみを断ち切って来ま した。 過去のしらがみの山は大きく、崩しにくいのですが、この山を崩さない限り、ホ ンダの新しい進歩と革新が出来なかった事も事実です。

ホンダの車文化の遺伝子、特に日本市場における過去で、4輪車製造業に進出し 初めてビジネスの軌道にのったのは、参入後約20年経過し、初代CIVIC ACCORD等の上市の時代でした、これらの車はそれ以前の車に比較し、骨格として 大きな変化が生じました。
この骨格の変化は、欧州系の小型車のコンセプトを日本市場に持ち込んだ事で、 日本市場の中では、特に大きな骨格の変化が生じたわけです。

この時代70年代初頭のエネルギークライシスもあり、米国のマーケットにも、 広く受け入れられ、この骨格の変化が、ワールドカーとしてのポテンシャルも兼 ね備える事が見出され、ホンダの世界市場への参入のトリガーとなりました。 その後約10年にわたり大きな骨格の変化も無く、次第に企業として厳しい時代 を向えたわけですが、初代CITY、2代目PURELUEED 、3代目CIVIC、ACCORD等で の大きな骨格の変化により、4輪車ビジネスの更に大きな成長を促しましたが、 これも遺伝子の突然変異と捉えて見る事も出来ます。

更に10年後この骨格でビジネスとして、再び冬の時代を向え、日本他社がニッ チ市場として捉えていたマーケットにオデッセイ、CRV、ステップワゴン、SR −X等のRV車を投入し、企業が次の成長に向かう事になりましたが、これもその 10年前とは異なる、大きな骨格変化が突然変異的に生じたと理解し得ます。

この様に振り返りますと、4輪ビジネスの波が、ホンダにとって10年サイクル で変化し、常にその変化の中で、骨格の変化を伴なったと言う事になります。 この企業の特に商品の骨格の変化、いわば商品遺伝子の突然変異的思考だけで捉 える事は無理がある感じですが、国内のホンダにとっては、かなりの相関性があ る感じです。

そしてこの次の山を創るにはどんなしらがみを崩し、どんな骨格を創る事が必要 なのか、日本企業全体の「知恵と変革」が必要な時代に成っております。                    
                                   以上

昨年卒業時HGの一部の方に講演した内容の一部ですが、長瀬さんの国内はどう 考えるかの一つの考え方として私見をまとめたものですが、参考までに投稿致し ます。
皆様の異論、反論、オブジェクションをどうぞ・・・・・

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