読物の部屋その43
★モノ識り屋さん      翻訳:長瀬英一 ―著作権留保)           
   (S・モーム作 短編集の Mr. KNOW ALLから

どうやら本人のMax Keradaに会う前から嫌うように仕組まれていたようだ。 それは大戦後(#訳注:第一次大戦のこと)直後の事で船旅旅客の往来が多かった時代の話である。 船室予約なんぞは旅行代理店が勝手に選んで提供してくれるものを有り難く受けるだけであった。一人部屋なんてとても取れず、もう一人が相部屋となる二人部屋であった事に感謝せねばならなかった。だけど相棒の名前を聞いたとたん心は沈んだ。 それは通気孔に近く、夜はただ淀んだ空気だけで14日間の船旅(あたしはサン・フランシスコからヨコハマへ行こうとしていた)にスミスとかブラウンの名前が相棒だったら、そんなにウロタエたりはしなかったであろう。

乗船したときはミスター・ケラーダの旅装が解かれて部屋にあったが、見るのも嫌であった。 彼のかばんの至るところベタベタとラベルやスティッカーが貼られ、しかも衣装入れのトランクは大き過ぎた。彼の化粧品が開けられ、彼はムッシュウ・コテイの上客である事を知ったのは、洗面台で彼の香水や髪洗いやポマードを見たからである。ブラシは黒檀の柄にミスター・ケラーダと金文字で彫られみんな使い勝手が良さそうである。ミスター・ケラーダのすべてが嫌であった。勝手に部屋を喫煙可能として、トランプを取り寄せペイシェンス・ゲームを始めようとした途端に彼が帰って来て、あたしの名前が何某と正しいかどうか、と聞いた。

「私はミスター・ケラーダ。」彼は白い歯を覗かせて微笑んで、座った。 「あ、そうですか、たしか船室がご一緒ですね?」
「誰がご一緒かわかりませんからね、チト運が良かったとでも申しましょうか、貴方がイギリス人と聞いて衷心から喜んだものです。私もイギリス人同士が一緒にくっついて航海するなんてイイじゃないですか?ね、お解りでしょう?」
あたしは眼をパチクリさせた。
「貴方がイギリス人?」と多分なにげなく聞いた。
「勿論ですよ、私がアメリカ人には見えないでしょう、貴方には。生粋のイギリス人ですよ、私は。」
その証拠としてケラーダ氏はポケットからパス・ポートを取り出し、あたしの鼻先にチラせかして見せた。
キング・ジョージ(#:当時の国王)は色んな変わった臣民をお持ちのようだ。ケラーダ氏は、短くガッチリした体格でキレイに剃り上げた褐色の肌を持ち、大きなかぎっ鼻でキラキラした眼をつけていた。彼の長い黒髪は綺麗でカールしていた。彼は流暢に喋り、と言っても英国気質とは言い難くそしてジェスチャは華麗だった。もっと注意して良く検査すれば、キッと英国パス・ポートはケラーダ氏の事実を暴きたて、彼の出生地が英領の何処か青空の下であった事が判ると確信した。

「何かお飲みになりますか?」と彼は尋ねた。
あたしは怪訝そうに彼を見た。 何処も禁酒法は厳重で、船は完全に禁酒だった。(#:この時期アメリカ全土に、かの悪評高い禁酒法が敷かれていた。) 喉が渇いても居ない時にジンジャー・エールかレモンスカッシュのどちらが嫌いか解らなかったので・・・。
ケラーダ氏はニヤリと東洋的微笑を浮かべ、あたしを見ていわく。
「ウィスキー・ソーダもしくはドライ・マルテニ、その中で選んでください。」彼は両側の尻ポケットから各々の壜を引っ張り出してあたしの目前に並べ立てた。そこであたしはマルテニを選んだ。
そこで船のスチュワードを呼んで“氷り入れ”と二個のコップを頼んだ。
「とても旨いカクテルだ。」とあたし。
「そうね、モット沢山あるよ、若しお友達が船内に居られたら、世界中の酒を持つ知り合いが居ると言って下さっても良いですよ。

ケラーダ氏はお喋り好きであり、ニュー・ヨークからサン・フランシスコに関する話題の何でも良く、演劇、映画、政治なんでござれ話題とした。彼は愛国的でもあった。しかし、幾らユニオン・ジャックの国旗が心地良いとしても、アレキサンドリアやベイルートから来た見知らぬ人に、修飾されると何だか権威が薄れるような気がしないでもない。ケラーダ氏は何でもよくご存知。余り議論したくない場合でも、見ず知らずの知らない人があたしの前に彼を指名することに、異議を挟む訳には行かなかった。ケラーダ氏は、明らかにあたしの気付かない内にそうしたのであって、規則に無かった事である。あたしはケラーダ氏を好きになれなかった。彼が座ったときにカードを仕舞ったが、しかし最初の議題が終わりそうにもない現在、あたしはゲームを続ける事にした。
「3の次は4.」とケラーダ氏が言った。
ペイシェンスを遣っている最中、他人にオセッカイ焼かれるほどシャクにさわる事はない。
「やった、やった!」と彼は叫んだ。「10を9に続けば!
終わったとき、むらむらと胸の中に怒りがこみ上げて来た。 そして彼はカードを手に入れた。
「カード魔術はお好きですか?」
「いいえ、カード魔術なんて大嫌いです。」あたしは答えた。
「では、こんなの如何?」 彼は三つ見せてくれた。 
それで食堂へ行き、テーブルの予約に行かねば為らぬ事を告げた。
「そんな必要有りませんよ。」と彼。 「もう、貴方の席も既に取って置きました、多分同じステート・ルームに泊まるんだから、同じテーブルに座るのだろうと思いまして。」

あたしはケラーダ氏が嫌いだった。
船室を同じくするばかりでなく、毎日三食同じテーブルを付き合わされた挙句に、甲板を歩き回るのに彼の同行無しでは済まされなかった。彼には自分が敬遠されている事など思いもしなかった。彼が喜んで会っていると同様に、人は接して呉れていると思っているのは確かであった。自分の家なら、階段から蹴落として彼の顔前でピシャリとドアをしめ、疑いの余地無く歓迎されざる客である事を認識させられたものを。
彼は良き仲介役だった、三日も経たぬ内に船の中のみんなと知り合いになった。

彼は何でも手掛けた、賭けを仕切り、競売を主催し、スポーツ競技の賞金・資金を集め、輪投げやゴルフ競技を開催、コンサートを組織し、仮装舞踏会を運営した。彼は何時でも、何処でも出現した。彼が船で最も嫌われた存在であった事は事実である。みんなは彼を“モノ識り屋”さんと呼び、時には面と向かって言う事もあったが、彼はそれを皮肉とは考えず、賞賛と受け止めた。 それが食事時に最もガマンならなかった。一時間近く彼の一人舞台で、熱心で快活、騒がしく議論好きであった。彼はみんなより何でも知っていて、もし誰かが彼の自惚れた説に反対しようもなら、彼は例え不必要な議題でも彼の意見に従うまで、話題を変えようとしなかった。彼には失敗は起き得なかった。彼は何でも知っているヤツだった。

我々はドクター・テ-ブル(#:キャプテン・テーブルに次ぐ、船では上席とされる)に座った時である、ケラーダ氏は例の調子で彼一流の遣り方で展開しようとしたが、船医は怠慢の一方であり、あたしは徹底的に無関心を装ったが、隣に座ったラムジー氏は別で、ケラーダ氏と同じくらい独善的で、レバノン人の自信たっぷりをやっつけてやろうとしていた。その議論は激烈で際限なく続いた。

ラムジー氏と言うのは神戸のアメリカ領事館に働く中西部より来た巨漢で、皮膚の下に脂肪を隠し、既製服に身を包んでいた。ニューヨークから彼の妻と連れ添い帰任の途中であったが、彼女は小柄で好ましい礼儀作法と人情を解する女性だった。
領事職は安給料らしく、彼女は何時も簡単な服装でいたが着こなしは良くて、目立った存在だった。あたしは格別彼女に興味を抱いた訳でもなかったが、自然に身につけた女性としてのたたずまいだが、もはや旧式かもしれない。しかし彼女の中庸を得た美しさに感心せずには居られなかった。着物を着た花のように光り輝いていた。

ある夜ディナーでたまたま話題が真珠に及んだが、狡っからい日本人の造る人口養殖が当時の新聞記事などを賑わしていて、船医はキッと本物の真珠の価値を下げるだろうと決め付けた。
それらは既に充分良く、やがて完璧になるであろう。
ケラーダ氏は何時ものように新話題に飛びついた。彼は真珠に就いては何でも識っていると言う。あたしはラムジー氏がケラーダ氏程にはそれに就いての知識に乏しいと見たが、レバノン人を遣っ付ける好機到来、とばかりに5分とたたない中に熱中した議論の真っ只中にあった。
以前に彼の熱中と雄弁を見たが、この時ほどの熱心さと雄弁を見た事は無かった。しまいに、何かラムジー氏がチクリとやったら、ケラーダ氏はテーブルを叩き叫んだ。

「皆さん、私の素性を明かせばなりません。 日本へ行くのはその真珠ビジネスの状況を調査する目的です、真珠について私ほど熟知している人間はいないし、世界の極上の真珠を知っているし、私の知らないことはこと真珠については存在しない。」と言い切った。
それは我々にとって初耳だった。ケラーダ氏はそのオシャベリな性格にも拘わらず、彼の職業が何であるかについては誰にも話していなかったからだ。ただ彼は何らかの商用で日本へ行くのだろう、と漠然と考えてはいた、そして勝ち誇ったようにテーブルを見回したのである。
「養殖真珠に就いては、私みたいな目利きにかかると眼を半分閉じていても判るんです。」
ラムジー夫人の首につけた真珠のチェ―ンを指差して、「貴女がいま付けているのが、1セントも間違いないように見積もれますよ、試しに。」ラムジー夫人は行儀良く一寸顔を赤らめて、着物の内側に首飾りを隠した。ラムジー氏は身を乗り出して皆を眺め回し、喜色が走った。
「そいつはキレイな首飾りだね?ラムジー夫人?」(#:自分の妻でも○○夫人と公式には呼ぶらしい?)
「私には直ぐ解りましたよ。」とケラーダ氏。「この真珠は悪くはないなと、自問自答して居ました。」
「私が買ってやったわけではありませんよ、勿論。それが幾らの価値があるか、私も貴方の評価を聞きたいですね?」
「普通の取引だったら、大体15,000ドルてナところですかね?これが五番街(#:ニューヨークの五番街で、贅沢品店が軒を連ねている)辺りでは30,000ドルしたとしても別に驚きませんネ (#:当時はピカピカの新車でも、1,000ドル前後で買えた筈の時代で、15,000ドルとは現在価格で30-40倍はするだろう。)
ラムジー氏はニンマリとホクソ笑んだ。

「貴方が聞いたらビックリされるかも知れんけど、ニュー・ヨーク出発の前日にあの首飾りは彼女がデパートで18ドルで買い求めて来たんです。」
ケラーダ氏は噴き出した。
「ラムジーさん。あれはホンモノ以外にありえませんや。 前にもあんなやつを見たことが有りますよ。」
「どうです、賭けますか?私は偽物のほうに100ドルかけても良いが。」
「宜しい、賭けましょう!」
「ねえ貴方・エルマー止めて、確実な物に賭けることは出来ませんことよ」彼女は唇に微笑を浮かべ、嘆願するような調子だった。
「なんで?こんなに容易に稼げるチャンスをムザムザ見過ごせば、バカに見られるだろう」
「でもどうやって証明するの?」彼女は続けて言った。「私のいった事とミスター・ケラーダの仰った事だけでしょう?」
「その首飾りを見せてください、若し偽物だったら直ぐに申し上げますよ、100ドルくらいは失ってもこたえませんよ。」とケラーダ氏。
「取ってごらん、その紳士にトックリ納得行くまで見せておやりなさい。」 ラムジー夫人は一瞬たじろいだが、襟元に手を遣った。
「わたし外せないわ、あなた。」と彼女は言った。「ケラーダさんは私の言う事を信じて戴ければ好いのに・・・」
私は何か不吉な予感がした、が何も言えなかった。

ラムジーは飛び上がって、「俺がやってやるよ。」
ケラーダ氏は首飾りを入手し、このレバノン人はポケットより虫眼鏡を取り出して仔細に吟味し始めた。 彼の平坦な顔一面に勝利の笑みがコボれ、首飾りを彼女に返しながら発声しようとした瞬間にラムジー夫人の顔を見たのだ。 まさに顔面蒼白、倒れんばかりであった。彼女は眼を大きく見開いて彼を恐れているようだった。それは絶望的な訴えをしているようでもあり、旦那が気付かない事の方が可笑しいと思った程である。
ケラーダ氏は開きかけた口を閉じて、一つ深呼吸した。彼が自分を抑えようと努力しているように見えたであろう。
「私の負けです。」と彼。「イヤー、良く出来た偽物でした、でも私の虫眼鏡で見た途端に本物でなく、仰るようにこんなものは18ドルがいいとこだと思いましたよ。」

彼は財布を取り出し、百ドル札を取り出してそれを一言も喋らずラムジー氏に渡した。
「次からはそんなに自信過剰にならないよう、せいぜい気を付けることでしょうな、お若い友人!」(#:年上の人間に向かって、敢えて冗談めかし“お若い友人”と呼んだ)と言ってラムジー氏はそれを受け取った。
あたしはケラー氏の手が震えているのを見た。
このストーリーは瞬く間に船内に広がった。その晩、みんなは彼をコケにして、“モノ知り屋”さんが嵌められ一杯喰わされたなんて、冗談としても面白がられた。 一方、ラムジー夫人は頭痛と称して船室から出て来なかった。

翌朝、あたしは起き出して髭をそり始め、ケラーダ氏はベッドで横たわって煙草を吸っていた。
突然小さなカサコソ音がしたら、ドアの下に1通の手紙があった。 あたしは直ぐドアを開けて見たが、誰も居なかった。手紙を拾ったら、それは宛名にMax Keradaとブロック文字で書かれていたので、彼に手渡した。
「誰から来たのかな?」とつぶやき、開いてから、「おう!」とケラーダ氏。 彼が封筒から取り出したのは、手紙ではなく百ドル札一枚であった。 あたしを見て顔を赤らめた、そして封筒をこまかくチギってあたしに渡した。
「そこの穴から捨てて貰えませんか?」
あたしは彼の言う通りにした、そして彼を見て微笑んだ。 「誰でも自分がバカに見受けられるのは、イヤなもんですね?」と彼。
「真珠は本物でしたか?」
「私が可愛い妻を持っていたとしたら、ニュー・ヨークなんぞに一年も自由にさせて置きませんね、自分は神戸にいたりして。」と彼いわく。 この瞬間、あたしはすっかり、ケラーダ氏が嫌いではなくなっていた。 彼は財布を取り出だし、百ドル札を丁寧に仕舞った。 
            ―終わり―

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