読物の部屋その27
★チリ・パタゴニア旅行記その12     飯田 治

ヴァンを停めてもらって、一応胸壁で囲ってある峠の展望台へ数メートル歩いた。風が強い。南西方向から吹きつけるアンデス降ろしだ。氷河見物の時に着た防寒着を貫いて冷気が身にしみる。ゆったりと草を食む牛の群れを浮かべて、黄緑色の波が広がる彼方に、岩肌を午前の陽光に赤茶色に輝かせ、その上に定規で線をひいてから塗ったように白く雪をかぶった山並みが伸びている。所どころ、青い空の裾にまとい付くように真綿雲がとがった峰々をやわらかく包んでいる。カメラのシャッターを押すのももどかしく、早々にヴァンに戻ったのは、ブラジル生まれのMさん、Sさん達。南東側、左に眼を転ずると、コアウイエの町がなだらかな岡の上にまだ眠っているように静かに横たわっていた。少し下って15分も行けば、来た時と同じカフェテリアで休憩である。  

町の中心広場から伸びるメインストリートの角にその店がある。生憎、メインストリートは下水道の工事か、中央は掘り返されて金網でかこわれ両側の狭い歩道しか歩けない。穴の上に板を渡しただけのところもあり、ヘルメット姿の作業員達が働いている。「失礼、コン・ペルミッソ!」と声をかけると、ひげ面をほころばせて通してくれた。日本人は珍しいのか、好意的な笑顔が印象的だ。広場の前は小さな民芸品マーケット。どの店も、色とりどりの織物、革細工、人形、ベルトの類が小さな小屋に所狭しと並べてある。ご婦人方はひとつひとつ手にとりあげては、値段を訊いている。Mさんはひとり離れてたばこをふかしていた。家人は本物の羊の毛を使った小さな羊を土産に買った。私はペットボトルの水を買った。800ペソだから140円くらい、日本と同じだなと思った。

ヴァンの運転手がここから変わって出発。マーケットで手間取った(?) せいか、後続のバスのほうが先に出ていったようだ。軍事政権の大統領で あったピノチェ将軍の名を冠したカレテラ・アウストラル(南端自動車道)を走って、高原の飛行場バルマセーダに着いたのはまだ午前11時前だった。昼過ぎの便で一度プエルトモントに戻り、乗り換えてプンタ・アレナスへ行く。家人やM夫人が絵葉書を投函しようと言うので探して見たが、尋ねるとこの空港にポストは無いのだそうだ。ローカル空港の待ち時間ほど手持ち無沙汰なことはない。インドネシアの人が奥さんと娘二人を紹介してくれた。彼は実業家なのだろうか、自分は61歳、これからサンチャゴへ戻り、すぐにイスラエルへ行くという。なんとも凄まじい旅程である。昭和30年代の日本人も顔負けであろう。

ラン・チーレ(チリー航空)のフライト・サーヴィスには何も期待しない。サンパウロから来るときの機内食のお粗末なことといったら…。パスタを頼んだら、まるでうどん粉の糊みたいで食えたものではない。パンも冷えてカチカチなので、早々にあきらめた。お茶のサーヴィスより早く、免税品販売が廻ってきた。国際線でそうだから、国内線は言うまでも無い。機内食には手もつけず、赤ワインだけもらった。これなら文句は無い。

プエルトモント着陸前にオソルノ山を探して目を凝らせたが、見えなかった。空港で二時間ほど待ち時間があったのでM夫人と私達は空港でゆっくり昼食をとることにした。あとの三人は、どうしても街へ行くといってタクシーで出かけて行った。三時過ぎに戻ってきた彼らは、満面に笑みを浮かべて、「一緒にくれば良かったのに!。うにが旨かったー」没法子■

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