読物の部屋その41
★チリ・パタゴニア旅行記その11     飯田 治

波に揺られながら沖を見ると母船が見えない。大きな氷山の影に入っていただけだが、なんとなく肝が冷える。舳先を廻らせ帰途につく。母船までの5分ほどの間、何度も氷壁を振り返ったが何の変化も起きなかった。 パタゴニア・エクスプレス号上に戻って、三万五千年の氷でウイスキーを傾けながら見守っていたが、我々の後、交替で出ていった三波のボートの組は氷河崩落とあの波を体験できなかった。風も無く、陽射しにも恵まれたサンラファエル氷河見物はこの旅のハイライトの一つであることは間違いない。雨や雪では何も見えないだろうし、第一、ボートを出すといわれても乗り移るのさえ恐ろしい。我がグループの幸運に感謝してまた一杯。 ウイスキーの中の氷が可愛いかすかな音をたててひび割れた。氷河時代の 音を聞く思いがして、琥珀色の液体に浮くクリスタルをしばし見つめた。

一昨日出発したチャカブコの港までは五時間の旅。ディナーの後は興奮も鎮まったのか、船室のあちこちから寝息が聞こえてくる。「道中何のお話もなく…」とは虎造の浪曲、石松代参の一節だが、平穏無事に夕闇迫るチャカブコに着いたのは午後9時半を廻っていた。桟橋のすぐ近くに、まだ工事中の新しいホテルがある。今夜の宿である。ホテル・ロベリアス・デル・スルという名の2階建てのモダンなホテルで、増築工事の最中らしい。船中で読んだ新聞記事に、ハリウッドのリチャード・ギアやロバート・レッドフォードがパタゴニアに来ていた、とあったが、観光産業に力を入れる国の政策と、アメリカやヨーロッパの人達がようやくチリという国への観光に興味を示しはじめた証しと言って良いのだろう。

翌日金曜日はバルマセーダ空港へ帰り、次ぎの目的地プンタ・アレーナスへと移動する日である。他のお客の乗る大型バスとは別に我々6人には、白いヒュンダイ製のヴァンが用意されていた。ガイドのダニエル君ともここでお別れである。なにがしかの心づけを渡して、ヴァンに乗りこんだ。彼は土曜日に到着する次ぎのお客を迎えるために、チャカブコに待機するのだそうだ。ヴァンはバスに先立ち駐車場を後にした。パタゴニア・コネクションという旅行社が運営するこの3泊4日の温泉と氷河の旅は、双胴船を使って週二組、土、日、月組と火、水、木組を案内する。我々は火曜に乗船し火、水と温泉泊まり、木曜に氷河を見て夜下船、金曜日が移動日という組に当ったわけである。

プユウアピのテルマス・ホテルの従業員約60名もすべてサンチアゴから連れてきており、3週間はプユウアピで働いて1週間はサンチアゴへ戻る。双胴船は水曜はテルマス停泊、金曜日はチャカブコ停泊で、火、木、土、月とチャカブコ、プユウアピ、サンラファエル湖を周航する仕組みだという。各組50名程度のお客にバスと船の移動とフルペンション待遇を提供して、一人千ドル弱の料金とは安い。しかも、サンチアゴ―バルマセーダ間の航空運賃込みである。この夏日本で「東北四大祭り、3泊4日の旅」に一人12万円払った。

泊まるホテルは祭りの町から2時間も離れていて、到着は深夜。夕食なしの夜食のみ。おまけに氷さえ有料。旅の質、量、コスト全てで観光日本の競争力はお粗末。旅そのもののあり方、し方に日本の貧しさを感じるのは私だけでは無いはずだが…。アイセンの町を過ぎてヴァンは渓谷沿いに徐々に高度を上げて行った。 やがて樹林が草原に変わるころ右手遥かに雪を戴くアンデスが見えた。 

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