読物の部屋その4
★マニラの現地から★
マニラの車(その1)ーーー1999年1月5日松下記

マニラから何を発信したら良いのかとまどって居ます。まず、車でしょうね。 マニラの交通事情はどこの道も車で一杯、交通緩和策として、 登録ナンバーの下1桁で1、2は月曜日 3,4は火曜日ーーーと金曜日迄 割り当てられ、朝7時から夕7時まで走れません。今、土曜日の混雑緩和のため主要道路で偶数と奇数を午前と午後に分けて規制するよう試験的に実施していて、違反者に罰金300ペソ(約千円)が課せられる。

一口にマニラと云っているのはメトロ、マニラのことを指すことが多く、 メトロ、マニラとはマニラ首都圏と称し、東京都に於ける区に相当するのがマニラ市、マカテイ市、ケソン市、パラニャアケ市etc.10数市で構成され、人口は850万と云われています。

マニラ(メトロ、マニラ)の、高速道路は南北に延びた片側3車線の道路が1本のみ、拡張工事と重なり、東京の首都高速並の混雑で運転マナーは 最悪で混雑して来ると3車線が4車線にも5車線にもなり、車の鼻先を 出した方が勝ちで集中豪雨があると水浸しになる所が出来たりして混雑に 輪をかけている。

マニラの主要道路は、片側2−4車線位で信号が少ないが、混雑してくれば 車線が増えて隙間があれば鼻先をつっこんでくるそれにフィリッピン特有の ジプニーと称する、米国のジープを改造した庶民の足となる、乗合自動車で 一定区間を行き来し、手をあげれば何処でも止まり、乗せてくれ、 天井(車の)を叩けば降ろしてくれる。
料金は、2.5ペソ(約8円)、フィリピンの人たちはまず、どこえ行くにも歩かない暑いから歩けないのだ、このジプニーが外側1車線は完全に占領してしまい 渋滞が助長され、一般車は内側を走る結果となる。

主要道路に通じている路線(道路)には、トライシクルと云って、側車付き 2輪車が庶民の足として庭先から店先まで15ペソ前後(交渉と方向で)で乗れる。

マニラの車(その2)      1999年1月29日ーーー松下記  

トライシクルとは側車付き2輪車のことでフィリピン独特の庶民の足として全国的に 定着しており、100CCクラスのオートバイに屋根付きの側車を付けたもので2人分の シート(背中合わせで4人分のもあり)が設けられドライバーの後部は2人乗れる スペースを確保されドライバーを含めて最大6−7人を乗せ朝夕の通勤時間帯には この車の列が出来る。公的な規程では乗員は最大4人とされている)  

主要道路に通ずる支線道路には必ずと言ってよい様にトライシクルのターミナル(乗り場)が有り、支線の道路を4方に散って行く、料金は車両単位で何人乗っても15−20ペソで勢い沢山で乗ることになる。日本の駅前タクシーの感じ、 ターミナルに帰る車は、当然料金も半額程度になり、行動範囲を超えると超過料金を請求される。何れにしても交渉料金である。  

更に、支線の中で分岐された主な交差点にはトライシクルが待機して居る。 かまたは、空車で流して居るのをつかまえる。我々が料金の交渉をすると高めに 請求される事が多い、服装は半袖、半ズボンで現地フィリピイノに近い装いをしていても言葉がタガログ語で無いので付け入れられる様に思う。この対策には、タガログ語に堪能になるか、メイドを連れて出掛ける事になる。  

マニラ(首都圏)での我々の日常の行動範囲で見かけるトライシクルはYAMAHAの 100CCが最も多く見掛けられる。使用勝手より2サイクルの低回転に於けるトルクが 要求されるのであろう。 
とすれば、SUZUKI 、KAWASAKIは何故?と云う疑問が湧いてくる。過日、マニラより 南に下った海岸線にある小さな町を通過した時、渋滞に巻き込まれ、周囲を走る トライシクルを眺めたら、目勘定でHONDAと KAWASAKIが半々であった。とすれば、 それぞれその地域の強力な販売店に依るところが多いのではと考えらる。  トライシクルのドライバーの大半は車を借りて1日稼いで売上げの中からレンタル料を 払う仕組みになっているようだ。
以上から、地域によって車種が限定されている様に思われる。  

地域や、デーラーによっては4サイクルの耐久性を評価して使われて居るようで、 走っているHONDAの車を見たところ、100−125C.C.のOHVで昔のCG110−125系の エンジンと見受けられた。  

更に、近距離を行動範囲とする人力のトライショーと云う乗り物がある。これは自転車に 側車を取り付けたもので、お客は1人か1人に子供、若しくは、手荷物と云ったところ、 誰もが歩かない酷暑の中、自転車を漕いで日銭を稼いでいる姿は、何か痛々しく、 失業率の高いフィリピンの社会構造と貧富の落差の大きな1面を買垣間見る思いがする。    

マニラの車(その3)       1999年2月16日ーーー松下記

マニラ市街はトライシクルとジプニーの乗り継ぎに依って目的地に行く事が出来る。 勿論、タクシーも流して居り、ホテルの前には客待ちしている。日本に較べれば格段に 安いが庶民の足としては高価で緊急且つ時間の制約があるような時しか使われない。 旅行者が移動するにはタクシーであるが、前述の様に混雑しているのでなかなか メーターでは行かず、更に外国人とみれば鴨とばかりに料金を吹っかけてくるのが 大半でトライシクルに乗るときと同様、交渉するか、メーターを倒させて乗ること事になる。 メーターの場合は1割程度のチップを上乗せする。

最近、ジプニーと同じ路線にメガタクシー(Mega Taxi)と称するエアコン付きの乗り合い タクシーが急増して居り、10−15ペソでジプニーと同じ要領で乗り降り出来る。 暑さと埃を嫌う、ちょっと贅沢になった庶民や旅行者に人気があり、 車種はトヨタのTAMARAW FX1800 が主流でベンチシートが2列、前列にドライバーを 含めて3人後席に4人(窮屈である)後部ドアーから乗る左右のシートに2人ずつ、 計10人(乗客)乗りで有る。ボデーには"DUAL AIRCON"とうたわれて中間シートの 天井に特別に設けられた吹き出し口がありそよ風が出てくる仕掛けになっている。

その他、長距離を結ぶものとして乗り合いバスがあり、首都圏の中央を東西に走るエドサ(EDSA)通に各バス会社が犇めき合い、ルソン島内の地方都市に向けて、 昼夜の別無く発着している。(ハイウエイは、南北に走っているので郊外に出るのに都合がよい) バスは、100%と云って良く、日本のバスの中古品を右側通行のため運転席と乗降口及びシート数増やすべく改造したのみで、外観の塗装は日本当時のままが残され 補修はされているが、西武や神奈中バスがそのままの車体色で走っている。 勿論、エアコン付きと無しの2種類有り、当然料金も違う。

鉄道は、ルソン島南部に向かって1本有るが本数も少なく、庶民の足とはなって いないようだ。これとは別に首都圏を南北に約20KM位を結ぶ高架鉄道(LRT) が有るが、これもほんの1部の人の利用に留まっている。

フィリピンは7000の島から成っている為、島を結ぶ交通手段として、小型の航空機、 10−15人位が乗れる双発のプロペラ機が結構な数、飛んで居り、 小さな航空会社も数あるようだ。
パラワン島に属するクラブ ノア(CLUB NOAH)というリゾート島行った時の飛行機は 双発のプロペラ機でマニラより1時間30分南下してパラワン島のサンドバル空港に 着陸したが、なんと滑走路は舗装も無い赤土の上で、10M四方のほったて小屋が片隅に建てられ湯茶接待のテーブルと10客程度の椅子及びトイレのみで、時間に合わせて ジプニーが迎えに来て海岸まで運び、更に、バンカーボートでリゾートの島に到着する。 斯様に、フィリピンは日本よりも小型の航空機網は発達しているように思われた。

マニラの車(その4)        1999年2月26日ーーー松下記  

フィリピンにおける交通状況の概略を述べましたが、この中で、それでは日本からの移住者が一般的に如何にして生活して居るのかと思われるでしょう。 マニラでの生活には、自家用車は必須条件と思われましたので渡航前にホンダ倶楽部を 通じて海外営業部に紹介して貰い渡航日に合わせて現地での購入を依頼しました。 実は、OBのホンダ車購入割引が海外でも適用される事を期待して依頼したのですが、そこまでグローバルな考え方は今の所無いようです。

車種はCIVICに限定し即日入手出来るものという条件で、詳細については、 注文を付けなかった。渡航前にHonda Cars Philippines,Inc.の営業担当の山本氏より 国際電話があり、車は、CIVIC 1600 VTEC 5 MT 色はホワイト、在庫があり、シートカバーと フロアマットをサービスします。マージンが少ないので余り勉強できませんと釘を刺されて しまった。市販価額は、564,000ペソ(Peso)とのこと。

マニラに到着の翌朝、約束通り山本氏の来訪を受け、先ずは、全額ペソ払いのため、 日本から持参した円をペソに換金する必要があり、街の随所にある、 私設のマネーチェンジャー(*1)の中、レートの良い店に案内され180万円を換金した。

(*1)フィリピンでは、海外出稼ぎ労働者が多く、海外の通貨をそのまま持ち帰り、 必要に応じて、換金する人が多い為、市中の至る所にマネーチェンジャーがある。 その市中の換金レートは銀行に較べて、手数料を含まないので10%以上有利で、 その日の為替相場のほぼ単純計算値で換金出来る。米ドルと日本円のレートは窓口に表示されているので、これを見て交換するかどうかを為替変動の動向を読み、 腹を決めることになる。

また、レートは店により異なるので大金を両替する場合はレートの良い店を捜す事になる。 大金を交換する時は、店の1画にある鍵の掛かる個室で間違いないか札束を数えて受け取る事になる。当日のレートは3330ペソ/1万円、44ペソ/1US$であった。 市場に流通しているのは500ペソ札が多く(1000ペソ札もあるが)これで支払われたので 1198枚と100ペソ札4枚を数えて受け取った。(札束をやり取りする中に抜かれるので 注意するよう、予め、厳重に申し渡されていた。)

その後、当方の住居地近くのデーラーに案内され、販売、サービスの関係者に紹介され、 現金の支払い以外、山本氏に一任して保険を含め、購入手続きを完了し、 仮No.を付けて自宅まで納車して貰った。

何でも有りの交通ルールで、事故の発生したときが心配されるので大部分の日本人は ドライバーを雇っている。幸い近くに、元日本人のドライバーをやっていた男が職が無く遊んでいたので、即日、契約し、交通費を支給した。(続く)

マニラの車(その5)       1999年3月5日ーーー松下記

日本の運転免許証を持っていれば、簡単な手続きでフィリピンの免許証を取得することが出来る。しかし右側通行で、前述のように何でも有りの交通ルールに、いきなり 飛び込んで、万が一、事故でも起こしたら、と、考えドライバーを雇うことにした。

ドライバーの給料は、月給制で半月払い 
基本給 : 4,000ペソ (*1)
弁当代 : 1,250ペソ(50ペソX25日)
交通費 :   200ペソ (*2)
合計  : 5,450ペソ
拘束時間は、午前 9:00 より 午後 6:00
の9時間で時間外勤務には残業手当てを支給する。
(*1)フィリピン 1ペソ(Peso)は、約3.0−3.6円、
(*2)ジプニー往復交通費 5ペソX25日=125ペソ
なので余裕の手当

フィリピン人の多数は、江戸っ子的性格と言うか、楽天的と言うか、若しくは、ギリギリの借金生活のためか、宗教的思想に根ざしているのか、兎に角、給料が入ったら忽ち消費 してしまうようだ。 我が家では、交通費は別払いで毎月10日としているが、この交通費も無く、前払いして 呉れと要求されたことがある。キリストの教え(90%以上がキリスト教信者で、 富めるものは、貧者を助けることが当然との教え)に依るものか、少しも恥ずかしいとも思わず、いや、彼等の表情からすれば、当然の権利を主張していると云った感じで、 頭を下げる訳でもなく屡々借金を申し込んでくる。これを防止するため、半月払い、 中には、週給としている極端な家庭もある。

我が家のドライバーを紹介すると、年齢は、働き盛りの37才、女房と15才を頭に、 7人の子供を養っている。体型はスリムで、鼻の下には、髭を蓄えている。 無精髭にしていれば剃刀代が浮くメリットがある。実生活に立ち入れば、子供の入学のため、ユニホーム、学用品が必要、 子供の洗礼式の費用etc,借金の申し込みは当然と思えなくもない。 無情ではあるが、彼等がどんな生活をしているか?詮索しない様に、心掛けている。

自動車保険は新車購入時に掛けて貰い、30,000ペソ支払った。中味を見ると、 保険料の大部分が車両の物損に対しての保険料で、人身事故に対しては、 10万ペソしか支払われ無いことになっている。日本のように、無事故割引はない、 しかし車両の評価額が下がるので保険料も毎年下がる仕組みのようである。

ガソリンは、ハイオクと無鉛ガソリン(Unleaded)の2種類でハイオクに対しては、 石油メーカーによって、スーパーとかプレミアムとか呼称している。価格は、年間を通して よく変動しており(98年の例)ハイオク : 11.53−12.12ペソ/リッター 無鉛ガス : 11.12−11.69ペソ/リッターとなる。
ハイオクと無鉛の価格差が非常に小さいところが日本と違う。私は、両者をほぼ交互に給油している。燃費への影響は、現在の所、掴めていない。 (価格は日本と較べて約1/3位、しかし、給与水準からすれば、高い買物である)。 販売店は、CALTEX, PETROL, SHELL, UNION の4系列。

暑い国で、エアコン付け放しの為、燃費は悪いだろうと想像はして居たが、予想以上に燃費が悪い!! PGMFIで排気ガス規制の無い国としては、もう少し燃費の向上、省資源に対する地域的な配慮があっても!!!と思うのは、私だけだろうか??

燃費は、約35リッター前後での継ぎ足し満タン補給方式で、次のごとし。
年間走行距離 : 7,889KM.
年間平均燃料消費率 : 7.47KM/LITER
最高燃料消費率 : 8.97KM/LITER(*2)
最低燃料消費率 : 5.93KM/LITER
(*2)321KMの走行距離中に、ハイウエイを約140KM、
巡航速度 80ー100KM/Hで走行した、を含む燃費である。

フィリピンに於ける1998年の乗用車部門の登録台数はトヨタを凌いでホンダが10,038台、シェア29%でトップの座を占めている。
一昨年に較べて販売台数は46%と厳しい落ち込みであった。
                   (おわり)
L1
感想: フィリッピンの三輪車タクシーの思い出
ーーー長瀬英一

マニラ便り(2)のTri−Taxi、懐かしく読みました。 首都マニラ近辺はジプニーと称する中型乗合タクシーが多いのですが、 地方都市へ行くと大衆交通機関はトライシクルが圧倒的に支配していました。 特にセブ市など、いつもトライシクルでごった返していますが、殆どがYAMAHA (ヤマハの組立工場が市内にあり、選挙率が高い)の100cc・2サイクル エンジンですから、街中の空気が排気ガスで常時紫色に煙っています。

セブ空港の在る対岸のマクタン島には保税工業団地があって、数千人の 労働者達が通勤するとき、大多数の交通機関がこのトライシクルに依存して 1台に最低5人、どうかすると7〜8人がテンコ盛りに乗り合わせて利用してますが、島との間に掛かる唯一つの4車線の橋にウンカの如く押し寄せる トライシクルの群れを見たとき、何故か感動した覚えがありました。

田舎道を車で走って前のトライシクルを追越しても、その前にまた別のがいて、 それらにが数人乗っていると精々15`内外のスピードしか出ませんから、 ヨタヨタとそれらの後に従いて行くより仕方がありませんでした。 セブでは殆ど英語が通じたので、マニラのように交渉で困ることはありませんが普通タクシーの1/5以下と言う値段は魅力でしたが滅多に利用しなかったです。

それと言うのも、バンコックで「トクトク」とか「サムロー」と呼ばれるタイ独特の 三輪タクシーに真夜中乗ったはいいが、交通が少なくなった道路を120`!で スっ飛ばされ、あのバー・ハンドルで昔のダイハツ・ミゼットを改造したままの不安定な三輪車構造だけに、生きた心地しなかった覚えがあるからです。

フィリッピンでも同じだと思いますが、彼ら三輪タクシー運転手は田舎からの出稼ぎで、親方から歩合で車を借りて営業してる連中ですから、万一事故を起こしても無論補償能力も無く、責任も負ってはくれません。 それどころか、 免許証すら持っていないのが大半だそうです。
まだバイクを操縦出来ない少年達が自転車にサイドカーを取り付けた「トライ ショー」で客を乗せて炎天下を足で漕いで居るのを見たとき、松下さん同様 この国の貧富の差と社会保障の欠陥に心が痛みました。

むかし現役だったころ、フィリッピンの取引先が来日して接待で深夜になり、 タクシーでホテルに送って行く途中、赤信号の交差点で停車中に突然客が感心したような面持ちで喋りだしたのです。
「これだから日本は発展したのだナ、深夜でポリスが見張ってなくてもみな信号 を守って停車している、みんながルールを守るからこの国は発展したんだ」 と。 逆に、フィリッピンでは真夜中みんな信号は無視すると聞いて、此方が大変 驚いた記憶があります。
ところが、あれから30年経ってもセブ島あたりは余り変化してないようでし た。

マニラは近代化してますから状況が違うでしょうが、くれぐれもご注意下さい。 以上

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