読物の部屋その37
★チリ・パタゴニア旅行記その7    飯田 治


ホテルはすべて木造で、平屋建てや三階建ての建物が10棟ほどもあるのだろうか。寒帯雨林に抱かれるようにひっそりと、しかし近代文明が大自然に築いた橋頭堡のように、屋根に望楼のとんがり屋根を乗せた塔を南北と中央に配し、したたかに立っている。ヴェンティスケイロ・サウンドのドリタ湾という静かな入り江の浜辺に張り出したプラットフォームは、満潮のせいか真下まで水にあらわれている。部屋に灯りがともって夜の訪れを告げている。部屋に案内されたのは、午後9時を廻っていた。

「15分後に水着に着替えて玄関ホールに集合してください」という案内だったので、手洗いもそこそこにホールへ出かけた。今着いたばかりの同船客は50人前後、みんな神妙な顔をして、タオルのガウンにくるまっている。係の女性の後について野外の暗い通路を進み、階段を上がって中庭からテルマ&スパの玄関へ通された。霧雨が中庭の敷石を濡らしていた。ホールでは白い長着姿の女性が数人、ギリシャの聖火採取シーンのように厳かに語り始めた。スペイン語だが、英語とドイツ語への通訳があるというので、すかさず「日本語は?」と声をあげたら、みんながどっと笑った。「ようこそいらっしゃいました。ご滞在中に心身ともにきれいになるように、自然の水で乾杯し、まず象徴的に体の中から清めましょう」と、一同にシャンペングラスを持たせ、山からの清水をついで、まずは歓迎の儀式と温泉への誘い(洗礼?)であった。

温泉から上がってシャワーを済ませ、ダイニング・ルームへ出かけると もう午後11時。われわれ6人には一番奥のテーブルが用意されていた。 大きな窓越しに、パタゴニア・エクスプレス号が周囲の暗い静かな海に幾筋かの光の影を落としているのが見えた。フルコース・ディナーのメニューでチリー・ワインを好きなだけ注いでくれる。他のテーブルの客たちも旅の疲れなどどこへやら、グラスを空け、お喋りを楽しみながらナイフ、フォークを忙しく動かしていた。やはり、西洋人は、やることのスケールが違うな、山と森と海以外何も無い大自然のど真ん中にこんな仕掛けを作って、楽しませる。チリー人も大したものだ。“うに”の旨さを思い出しながらそんな感想が浮かんだ。わがグループも負けずに健啖ぶりを発揮している。部屋へ引き上げたのは、とっくに12時半を過ぎた頃であった。

目覚めると8時。また曇りで霧雨が残っているような天気だ。氷河見物のツアーを申しこんでおこう、午後の方が天気がよくなる可能性があるからな、と思ってロビーへ行くと小柄な東洋人らしき人が、カウンターの人と話していた。申しこみを済ませてテーブルに座ると、双胴船が舫う北桟橋の反対側、南桟橋にもヨットが二艘見えた。もう一艘、灰色の船が出航準備のためか、黒い制服の男達が忙しく働いていた。白いヨットはホテルのオーナー所有、灰色のはチリー海軍の巡視艇だそうだ。

先ほどの東洋人がテーブルに来て、どうしてこんなところに来ているのかと尋ねた。ジャカルタから家族4人で来たが、ロスから真っ直ぐサンチャゴヘ来て、乗り継いでバルマセーダから6時間かかって、昨夜二時に車で着いたのだそうだ。昨日見かけなかったはずだと納得したが、疲労の様子ありありで、ついに家族は朝食に姿を現さなかった。遥けくも来つるものかな、である。私達も含めて…。ロビーにはツアー出発の人達が待っていた。長い竹の杖を手にしたカナダ人夫婦に挨拶して部屋へ帰った。


投稿読み物の頁に戻る