読物の部屋その36
★チリ・パタゴニア旅行記その6     飯田 治

 南緯44度30分、西経73度30分付近のチリー西岸は無数の島と入り組んだ水路、内陸に深く浸入するフィヨルドによって、複雑な地形を形成している。すでに寒帯に入っているが、アンデスと太平洋の関係で雨が多く、年間250日は雨が降るという。 

どんよりと低く垂れこめる雲の下、巾二、三キロのアイセン・フィヨルドを進む双胴船はスピードを上げて、現在巡航速度時速45キロで航行中とのアナウンスがあった。両岸は、樹木が密生する切り立った山腹。千メートル級の山が海に落ちこんでいる感じである。後部甲板はあたかも喫煙者専用であるかのように皆タバコをふかしている。防寒着のえりをたて髪をなびかせているのは、スイスからのやや若い女性三人組みだ。わが、S氏、M氏もカメラとたばこの二股をかけて船室から出ていった。大きな窓の船室は、左右夫々窓側2席、中央4席が船首から船尾方向に七列あり、足先、膝前、幅、リクライニング角度いずれもゆったりとしたファーストクラス・シートで、長い船旅をくつろいで過ごせるようになっている。飲物サーヴィスも全て無料、というか旅行料金に含まれている。

やがて上階の食堂で昼食サーヴィスが始まった。食堂階は乗客全員を収容できないので、食事は二組にわけてとるとのこと。我々は、最初の組で、船尾甲板が良く見えるテーブルに案内された。勿論ワイン付きのフルコースだ。もう4時近い。コアウイケであんなに急いでパステルなどを腹に詰め込むのではなかった、とはS氏の弁。後の組にテーブルを譲るべく、長居をさけて船尾甲板に出てみた。案外暖かい。しかし船室の蔭から舷側に顔をだすと、風としぶきで相当に寒い。まるで二階を覗くような角度で見上げると、時々、雲の切れ目から山の上の方に積雪が見えた。

急にスピードが落ちた。水路の正面に斜面に張りついた集落が見えている。プエルトアギーレという村で、人口四千人、それも1936年までは無人島だった。主に、チロエ島(湖水地方で触れたプエルトモント南西にある大きな島)から移り住んできた人達で、岬を廻ったところの共同墓地は、出身地の風習そのままに、お墓も生前住んでいた家のミニアチュア版で屋根を初め色までそっくりに作るそうだ、と英語も達者な好青年ダニエル君の船内放送があった。船は死者たちのプエルトアギーレを静かに過ぎ、赤い小さな灯台の右手を廻って再び速度を上げた。

地図で調べると、チャカブコを出た船はアイセン・フィヨルドを西北西へ進み、島の間のピルコマヨ水道を西へ抜け針路を北に転じて約百キロをきたようだ。所用時間二時間余りの所だ。東へ40キロほどには三千二百メートルを越える山があるはずだが厚い雲で何も見えない。乗客達も心地よい振動に身を任せ、眠っている人が増えてきた。針路は北。やがて大陸を東北東に切れ込んで行くプユグアピ水路へ入って目的地まで約三時間の行程を残している。水面は両岸の暗い緑を映して、実に静かである。

前方にピンク、白、青などの旗をはためかせて、二隻のランチが高速で近づいて来た。パタゴニア・エクスプレス号が速度をぐっと落とした。ランチは行く手を斜め十文字に交差して横切り、旗の間から乗組員が手を振っている。お出迎えのご挨拶である。桟橋には従業員達が並んで手を振っている。みんな若い。自然愛護のメッセージ・カードを手渡しながら、「ようこそ」と笑顔を向ける。桟橋の終わりがホテルの入り口だった。


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