読物の部屋その35
★チリ・パタゴニア旅行記その5     飯田 治

湖水地方の話ばかりで終わっては申し訳無い。少し先を急ごう。今度は 十一番目の地方で、アイセン(AISEN)地方と呼ばれ南緯45度あたりを中心とする。広さでは3番目だが人口は最小で九万人しかいないそうだ。プエルトモントの空港から再び飛行機で真南よりやや東に進路をとりアンデス山塊を縦断する約600キロの移動である。一時間余り飛んで、バルマセーダ空港に着陸した。標高800メートル。何も無い。

アルゼンチンの国境から10キロほどしか離れていない寒村で人口五百人の村に空港があるのも珍しい。降りたお客を迎えに大型バスが待っていた。我々ばかりではなく、各国からの観光客をまとめて運ぶバスのようだ。係の若い女性がてきぱきと英語でお客を案内している。後で知ったのだが、彼女は4年前にチリーに来たアメリカ人でボストンで修士課程を終えた才媛ガイド。英語が上手いのも当り前だ。ドイツ人、オランダ人、スペイン人やチリー人などに混じってバスに乗る。観光気分に浸るというより、ちょといつもと勝手が違うなという感想が先に来た。

バルマセーダはアイセン地方の空の玄関口である。アンデス山脈の東斜面をおりて地形がなだらかになる高原を利用して滑走路がある。山の東は雨も少なく乾燥気候も好都合なのであろう。バスは乾いた緑の高原を緩やかなカーブで縫う素晴らしい道路を北上する。ピノチェ将軍の名を冠したカレテラ・アウストラル(最南自動車道)は左手遠方に雪を頂くアンデス、右手はなだらかに広がる高原を見ながら徐々に高度を下げて行く。空港を出発して間もなく両側に焼け焦げた木の株が見えたが、戦後間もなく政府が始めた開拓事業が山火事をおこし頓挫した名残だそうだ。

一時間余りでアイセン地方庁所在地コアウイケの町に着いた。標高四百メートル余り。人口4万人の穏やかな町が岡の西斜面にアンデスに対面するように広がっている。町の中心広場に駐車して傍のカフェテリアで30分の休憩。地もとの果樹サルサパリーリャのカクテルと、パステル、チーズ類が無料で振舞われた。午後一時を廻っているので、これが昼食の代わりだな、と一つ二つつまむ。カクテルのアルコールは結構きつい。

この地方の地図を買った。アンデスの山系をシンプソン川(探検家の名に因む)渓谷沿いに下り、アイセン市(人口二万二千人で最初の地方庁所在地)を通り、アイセン・フィヨルドの水、つまり太平洋の海水が洗う小さな港町チャカブコまで下る。峠を越えて下るに連れ、木々の緑と密生度が増して行く。雨の多い太平洋岸地帯へと近づいていった。

アイセンの町をあっと言う間に通りぬけ、アイセン川にかかるチリー最長の釣り橋、といっても、たかだか240メートルだが、を渡って川に沿って下ること15分あまりでチャカブコの波止場に着いた。舗装はとっくに切れて、駐車場も昔日本でも良く見た普通の空き地、原っぱである。時刻は三時。今日はこれから、フィヨルドを縫っての船旅五時間ほどで目的地テルマス・デ・プユウアピ・ホテル&スパまで行く。

桟橋にはカタマラン・パタゴニア・エクスプレス号が白い船体にブルーの帯、白地で船名を抜いたスマートな姿で我々を待っていた。全長28M、 全幅8.3M、巡航速度25ノット(45k/h)、全席一等56席の快速双胴船である。出航時刻3時30分。曇天のフィヨルドへ滑り出した。


投稿読み物の頁に戻る