読物の部屋その3
★ベトナムとの技術交流会★
     1999年1月5日ーーー横山記

96年9月ベトナム・ホーチミン工科大学にて、朝霞研究所、朝霞東研究所、 熊本製作所の協力を得て、第2回目の一般技術者及び学生を対象に2日間に亘 り開催した。
一般技術者にたいしては、世界の二輪車の排ガス浄化規制の動向と、熊本製作 所の生産ラインの考え方や、ラインの紹介等、及び戦後の日本農業の発展と衰 退について、学生向けには、二輪スパーカブのエンジン及び汎用エンジンの歴 史とGX-160を中心とした、汎用エンジンの技術紹介、熊本製作所の紹介等、多岐に亘って交流会を行なった。

先回のハノイ工科大学(昨年11月)と同様、英語のオーラル原稿を基に、ベ トナム語の翻訳、製本は各大学での学生を主体に、HVOの協力で行ない、 学生の勉強共々彼等の将来の実務に役立てられた事と考えます。 今回はスーパーカブのカットエンジンをタイで、GX-160のカットエンジンはベ トナムで行い、それぞれ各工科大学に寄贈した。
加えて汎用事業本部の協力を得て、昨年の第一回技術交流会では、約20台、 今回15台のGX-160を、ベトナム内の工科系大学及び各研究機関に寄贈し、将来のベトナムを考える素材に彼等が見出せればと期待しております。

尚先回のハノイ工科大学での技術交流会に比較し、ホーチミンは自由経済を経 験している事も有り、 質問事項も産業育成的な国家的見地での質問より商品的 見地の質問が多く、北と南の関心事項の違いが感じられた。 更に付け加えるならば、南北の融合と言う視点での歴史的背景も今後は北の押し付けだけでなく、 両者の協調的政策の醸成が必要に成って来ると考えられま す。

企業の社会的使命について(ベトナム技術交流会での感想)
20世紀後半の企業の社会的使命は、人をより快適に過す為にその企業努力を科 学技術により、先進国を中心に傾けてきた。 如かしながら人の快適性を求めてきた技術も有限な化石燃料の枯渇化や炭酸ガ スによる温暖化等種々の地球的運命を揺さぶる世界的課題が近代技術の乱用によりその危険性を説く学者の方々が出て久しくなる。

この様な時代に於いて、従来は企業の「ビジョン」が有ってその次に企業の 「ミッション」があれば良い時代であったが、これからの時代はその逆でなければ成らない。 すなわち企業が存在する価値を、又言い換えると企業が何故無ければ成らない のかと言う社会的存在価値の意義が(問われる)必要な時代に成ってきている。

今これを問われている企業がベトナムにあるとすれば、圧倒的な庶民の足と成っている、 ホンダのモーターサイクルの社会的責任は極めて大きく、かつ国 家としても今後の政策は庶民にとって大変な影響を及ぼす事に成るであろう。 その意味でベトナムにおけるホンダの企業の「ミッション」が 大変重要な位置 付けを担っていると考えるべき時代に、二輪車の製造進出はベトナム、 ホンダ双方に取って重要な「試金石」では無かろうか。

先日ベトナムのホーチミン市内を走行している時にモーターサイクルによる、 個人輸送効率の高さに注目しながらある仮定の試算を試みた結果四輪車に比較 し圧倒的輸送効率の高さに驚かざるをえなかった次第である。
その根拠は、まず燃料消費量、スーパーカブと比較しCIVICは約6倍。
生産エネルギーはそれぞれの重量として、CIVICは約10倍。
道路に占める面積当たりの台数は、CIVICの15倍。
道路上での都市内渋帯率は、CIVICは約10倍。
これらを相剰効果として見なすと、スーパーカブはCIVICに対して約50倍の (積分値では24時間フル渋滞とすれば9000倍)台当りの輸送効率を持つ 事になり、スーパーカブで起業のスタートをきった本田の世界市場へのスター トが継続性が正に「継続は力なり」を実証した模範例と思われる。
個人の輸送手段として、使用される都市内個人輸送効率が世界の中で最も高い のは、モーターサイクルをベースとしたベトナムのホーチミン市やハノイ市で はなかろうか。

ベトナムにも四輪車が入り始め都市内交通の渋滞の気配が見られるようになっ た昨今、 四輪企業に勤めながらもベトナムが世界の為に現状の交通形態を守り続けて欲しいと願うのは 自動車の為のインフラ整備では、やがて先進国や東南 アジアの徹を踏むことになり、その限界性も見えているからである。
世界から11の自動車メーカーがベトナムに進出するそうであるが、その工場 投資や、 インフラ整備等の投資が先進国が辿った21世紀への破壊とは異なる 新しい姿を二輪車で期待するのは虫が好すぎるであろうか。

21世紀の環境、エネルギー、食糧、等種々の課題に対して、ベトナムが新し い道を世界に示す為にも、先進国は中国の様な技術提供ではなく、産業革命以 降20世紀を歩んだ我々の道ではなく、もっと異なった技術を共創で創り上げ る地球最後の場所ではないかと言う気が致します。

今回ベトナムの農村や高原のコーヒー園等を廻り、庶民の生活の一部に触れま したが、 ベトナム政府が常に口にする、ベトナムは世界の最貧国の一つである と言う言葉と、 国民一人当たりのGNPでは確かにそうであるがその実感とはかけ離れた世界のように思えます。
先進国の行き過ぎた「豊かさ」と彼等の「適度な豊かさ」とどちらが本当の豊 かさであるかを考えてみた時、GNPでは計れない「生活の豊かさ」を感じるのは 南国の持つ豊かな自然と寒さを知らなくて良い温暖な気候がGNPに大きく寄与している事実をプラスして考える、豊かさであると言うのが実感です。
汎用エンジンの販売がここ一、二年で約五万台と言う実績を上げている事を考 えて見る、豊かになったはずのタイが15年掛けて13万台付近と比べてみた 時インドネシアやフイリッピンと比較してみた時、この国の真の豊かさを感じざるを得ないのは、数字的にも納得出来るし、スーパーカブの走り回る姿を目の前にした時にこの豊かさを創り上げているのはその様な積み重ねが作ってい ると思わざるをえません。

今回ベトナムの農村や高原のコーヒー園等を廻り、庶民の生活の一部に触れま したが、ベトナム政府が常に口にする、ベトナムは世界の最貧国の一つである と言う言葉と、国民一人当たりのGNPでは確かにそうであるがその実感とはか け離れた世界のように思えます。

先進国の行き過ぎた「豊かさ」と彼等の「適度な豊かさ」とどちらが本当の豊かさであるかを考えてみた時、 GNPでは計れない「生活の豊かさ」を感じるのは南国の持つ豊かな自然と寒さを知らなくて 良い温暖な気候がGNPに大きく寄与 している事実を見逃してはいけない豊かさであると言うのが実感です。
この国の豊さは他の発展途上国に比較し、貧富の二極化が少ない事が国民の富 を分散し、全体的なレベルを押し上げている感想であり、ある面では貧しさを 強調しているのは、際立った金持ちがいないだけで、庶民の姿は他の途上国以 上の「豊かさ」を感じます。

この富の分散を成し遂げているのは、軽工業製品や一般軽食料等の殆どがタイ、中国製であり、 それを販売する小規模店が無数に有る事から、独占的利益 の寡占状態の社会でなく、 分散した少利益体制の社会である事が富の分散を助けベトナム経済のかさあげに重要な役目をになっているのだとおもいます。

他の途上国の商売の利益の殆どを華僑が掌握している実態から、本国人の利益分 散に結びつかず、GNPが上昇している他の途上国の庶民の姿を見る時ベトナム人 自らが商売を行なっている強さがここに有ると考えられます。
従って先進国商売の有り方、すなはち大資本、大量販売利益寡占状況の方向に進むのではなく、 現在のシステム個人少販売利益分散の姿は戦後の日本の発展 と似通ったところも有り 唯足りない所は、日本には軽工業が同時進行であっ た点である。

この点が気がかりであるが、雑貨のタイ、中国ばなれが必要かどうかは別として、雑貨の中国世界標準的な流通は他の途上国に限らず先進国も同じであり、 中国からより廉い労務費を求めてベトナムに来るにはあまりにも豊かに成った 国の様な気がします。
その意味では自国消費の付加価値製品を自国で調達する形がベトナムの最も望 んでいる姿かなーと思われます。

更にもう一つ21世紀を観た時、忘れてはいけない事は食糧問題である。 メコンデルタ一帯やハノイ周辺を含めた広大な稲作農業地帯は忘れかけている日本の農業の再生の道を示唆してくれるかもしれません。
稲作の特徴は他の作物に比較し、輪作障害が少ない事もあり、過去日本の高知 県等で二毛作は行われていましたが、南部のメコンデルタ地方では三毛作が通 常であり、一部は四毛作という考えられない事も行なう事が出来る気候を持っ ている事等から、単位耕地面積当りの穀物収穫量は欧米人が主食とする小麦な どに比較し圧倒的に収穫量が大きい事である。

更に水田稲作は土壌の保持に最も理想的であり、米国の小麦地帯の土壌喪失等の話を聞くにつけ、水利管理を含めた稲作の高等技術は作家の上之郷利昭さんが北海道講演で述べた様に、稲作文化の伝統が考える日本人の知恵を創り上げ てきた様に、ベトナムでも日本とは異なるかもしれないが、ベトナム人の知恵を創り上げているように思えます。
日本人が見たベトナム人は勤勉で労働意欲も高く清潔であると言うベトナム感は、 この稲作文化の伝統による共通の価値観が大筋のところで共有化出来ているのではと、最近思い始めました。

21世紀の食糧問題を今日本に居ると余り感じられませんが、日本の農業の後 継者問題を考えて見ると一つの解決策は稲作に技術を持っている東南アジアの人々に米国等でメキシコ人を雇用するように手伝ってもらう農業等も考えられま すが、水稲稲作のジャポニカ米を持つ国々から輸入もありうる訳で、その様な事 態に陥った時にはやはり水稲技術を持ったベトナム等が日本向けの輸出国とし て、適正であるように感じられます。
余り広くは知られていませんが、既に日本茶等もベトナムの高地で栽培されており コヒー等もインドに続ぐ製産国になっており、その労働者はベトナムの少数民族である、 高地の山岳民族が担っていると聞いております。
何れにしろ21世紀には日本がベトナムに助けて貰う事態が有り得ない事ではないと言う認識で、接する必要がある重要な国の一つである事には違いありま せん。
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この様な長期的観点に立ってベトナムとの技術交流会を継続させたいと考えて おりますのでご助力を期待し、お願い申し上げます。
                        文責    横山昭允


読後感想

ベトナムに就いての記事、興味深く読みました。ーーー長瀬 英一

外国部勤務時代、丁度ベトナム戦争真っ盛りの中で同国への二輪車輸出が急激に伸びて嬉しい悲鳴をあげた時期を思い出しました。
当時、いわゆる傀儡政権・南ベトナムを支援したアメリカは、莫大な援助資金が同国にインフレ昂進する事を懸念して、また当時戦乱でズタズタに破壊されつつ あった交通機関を補うものとしてバイクの輸入を積極的に進めた経緯があり、 言わばアメリカの南ベトナム援助のおかげで同市場が開拓されました。
そして幾人かの担当者が、それこそ文字通り身を呈して戦乱の真っ只中にあった同国に駐在して営業成果を上げられた事実もお忘れなく。

昔、「開高 健」の流麗なベトナム戦記を読んで以来常に関心抱いた事もあって 数年前ホーチンミン市を一週間ほど旅行者として初めて訪問しました。 街中スーパーカブで溢れかえっており、ベトナムは以来ずっと“ホンダ王国” だったのだなと痛感しました。 公共交通が余り整備されてないベトナム社会で庶民の足として日常生活には不可欠な交通手段となっており、1台のスーパー カブに5人の家族全員テンコ盛りで走り回るなど極々日常茶飯事。
(殆どヘルメット着用無し)
ホンダがないとデートも出来ず、ガールフレンドも作れないと若者の一人が言ってました。

とにかく、街路は終日スーパーカブと自転車の奔流で道路を反対側に渡るのも至難の業でしたが、前日まで滞在したタイ・バンコック に比べ不快な排気ガス 臭気が少なかったのが印象的でした。 (あそこは、出足加速の良い2サイクル 二輪車が好まれているのと三輪簡易タクシー・トクトク、更に多数のデイーゼル バス、トラックが街中にハンランして常時交通渋滞、排気ガスで空気全体が何時も紫色に淀んでいるアジア最悪、否世界最悪の排ガス公害都市)
これもホンダの4サイクル・エンジンのお陰だと思いましたが、現地の人々には 果たしてこの事までは理解されてるでしょうか?

なぜホンダが良いのかと意見を求めると、とにかく故障しない、堅牢だ、そして 燃費効率が非常に良いから維持費が掛らない、スペア部品が何処でも買える、 などの返事が却って来ました。 この国では燃費ゆえに2サイクルバイクは敬遠 されていました。
3年前当時はガス・スタンドも整備されてなく、街角到るところでオバサンや子供達がドリンク用のペットボトル等に入れてバイク用ガソリンを売っていたのが印象的でした。 何処にでも進出したがる、かのオイル・メイジャー資本も手強い共産党支配の国では、敢えて入ろうとはしなかったのでしょうね、 少なくともあの時点までは。

タクシーは結構高いし、市街を出ると非常に少なくなって不便なので、レンタ バイクを借りたら、タイ製ホンダ・ドリーム号という 100cc のスーパーカブで当時サイゴンでは最も人気の高い新製品でした。 街を走っていても横から なにやら話し掛けて来るし (ベトナム語で何を言われても通じない) 街角に 停車すると直ぐ人だかりして、ためつすがめつ触りたがるのには閉口。 カギを掛ける事は勿論、車から降りたら絶対眼を離してはいけない、何時も見える処においてくれ、5分のスキあれば盗まれてしまうから、とレンタ屋の厳重な注意もなるほどと思いました。

あの国も経済発展してインフラも整備され自動車の普及・増加も時間の問題でしょうが、あれだけ庶民に浸透したスーパーカブは矢張り今後とも根強く支持され続けるでしょう。
そして温暖な気候風土と道路状況、経済効率等からベトナムにとってはバイクこそが最適な交通手段であると考える人も多いだろうと思います。 日本からのODA等の援助もそれを支援する方向であって欲しいですね、 例えば、マレーシア・クアラ ランプールには自動車道路と平行してバイク 専用道路(世界唯一)が造られておりますが、そんな計画を奨めるとか・・。

とにかくベトナム人はホンダ・バイクを通じて日本の工業技術水準を知り、 日本に対する親近感を抱いていると言っても過言ではないでしょう。 ベトナムは共産主義国家の枠組みからは当分脱出しそうにありませんがあの国はやがて大きく発展する可能性を秘めていると感じました。
それは民衆の教育水準が高い事、一人一人気位が高く上昇指向と勤労 意欲を持っている事などで、少なくとも現在ドロ沼であがく旧共産主義国 ロシアよりは離陸が早いだろうと思います。
そして横山さんのご指摘どうり、日本としてホンダとして彼等に手を差し伸べるべき分野と動機が充分に存在するでしょう。

何せ建国以来戦争で負けた事のない超大国アメリカと4年間戦って遂にかの強大で最先端技術兵器で武装した数十万の軍隊を実力で追払った世界で唯一の例外をつくった非常に優秀で結束の固い民族ですから、 その気になれば大抵の事は成就できる筈です。

頑固で他国とは容易には妥協しない民族意識から、アジア諸国・欧州・ アメリカとも異なった社会体制と経済を模索しているようですが、彼等の 忍耐強く聡明な手腕と展開を期待したいですね。

しかし戦争で勝利しても、世界最貧国に留まらざるを得ないとは何たる皮肉でしょうか? 今ごろ「ドイモイ」とか言って自由経済への移行と民主化を謳い、アメリカにも擦り寄り始めましたが、それではあの血みどろで 戦った戦争はなんだったのでしょうか? アメリカ寄りだった旧南政府の 経済政策とは何処が違い、何の為に殺し合う戦争に発展しなければならなかったのか今になると局外者には理解に苦しむ事態です。
オヤブンとして頼りにしていたロシアや中国が、共産主義から宗旨替え したり、市場開放経済へ移行した為でしょうか?

〔 他方、アメリカにとってもあのベトナム戦争とは何だったのでしょうか? 国家財政が傾くほど軍事費が嵩み、多くの若者の犠牲を強いたばかり でなく、無辜の民を数多く殺戮し内外の批判を無視して強行してきた戦争が無残にも敗退に終わる屈辱を舐めさせられ国家権威の失墜を招いた、 アメリカ人にとっては思い出したくもない戦争でありましょうが・・・〕

日本始めアジア諸国の経済不況と混乱でベトナムの再建もブレーキが掛るかも知れませんが、逆にこの沈静化した事態からこれまで暴走 気味だったASEAN諸国の方向と政策が再吟味され、ベトナムが前者の 轍を踏まなくて済む時間稼ぎになるかと考えます。

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最後に横山さんが指摘される、日本も含めたアジアの食料確保問題ですが、水稲による生産体制維持論には全面的に大賛成です。 アメリカ式収奪農業ではやがて行詰まる時代が必ず到来する筈です。 水稲農業の最大の利点は連作障害が起きない事で、連綿と幾年でも同じ土地で生産を続ける事が可能ですが、畑作ではこうは行きませんから。
ただ、私見を述べさせて頂くと、ベトナムに効率の悪いジャポニカ米を栽培させなくても良いではありませんか? ロング・グレインの方が国際的な商品であって、ラウンド・グレインを嗜好するのは日本人くらいであり、炒飯やピラフはインデイカ米の方が断然美味いし、日本でも若い世代が現代の“ご飯”に何時までも執着するか判りません・・・。

それから横山さんに恐縮なお願いですが、ベトナム現地から Internetで日本人と対話してみたいと言う、キトクな方はご存知ありませんか? 或いは探して頂く方法はありませんか? 通信用語は英語でお願い したいのです。
                以上

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