読物の部屋その27
★桜井よしこの講演を聞いて★ーーー飯田 治 平成13年5月21日

桜井よしこの講演をきいて

幅広い言論活動を続けている桜井よしこの講演を聴く機会があった。小泉内閣で、強く希望して 外務大臣になった田中真紀子を材料に、その評価と日本外交のありかたを論じたもので大変興味深 かったので、要旨をご紹介する。

『田中外相を非難すると、いじめるなとの電話やファックスが沢山入るほどの大人気。円く納める男 の政治へのアンチテーゼとして、彼女の歯切れの良さが受けているのだろう。 就任早々人事でロシア課長を留任させたが、下品で赤ら顔の鈴木宗男と暗―い野中広務と真っ向から 対立することになった。北方領土が二島ではなく四島だという主張はその通りである。 そもそも、ソ連が日ソ不可侵条約を一方的に破って日本を攻撃し、北方四島に上陸したのは、日本 が降伏した後の8月18日のことで、当時住んでいた日本人一万七千人に対し、殺戮、強姦、略奪 をした揚句、四島から追放して四島全島を占拠したのは9月5日になってから。

この不法行為の解決に戦後日本がどう交渉してきたかを歴史の流れとして捉えると、まず56年の 鳩山内閣の試みが最初。 領土問題を解決して「平和条約」締結しようと申し入れたが、国内政治基盤の脆弱さもあって、この 時は、平和条約締結に努力し、条約締結後にニ島返還するという覚書のみで、国交回復だけを先行 させた。 次ぎが72年のコスイギン/ 福田会談(当時は外相)、ソ連からの接近があった。ニクソンの米中 接近に乗じて日ソ接近の好機との思惑が先方にあった。翌73年はブレジネフ/田中会談。角さんが、 領土問題を念頭に日ソ間の問題(単数)を解決して、と切り出すとブレジネフは諸問題と複数で応じ 、田中首相が、最重要問題は領土問題と例のダミ声で念をおして、北方四島を確認させた。

御付の 外務省ソ連課長は大変優秀な人であった。その後20年が経過、その間にソ連そのものが消滅して ロシアになり、93年にエリツイン/細川会談があった。日本に有利な環境下で、北方四島を ハボマイ、シコタン、クナシリ、エトロフと明記させて大変外交的な成果があった。 然るに、97年11月のエリツイン/橋本会談では、エリツインは国内批判が高まり弱体化している のに、三流歌舞伎役者然とした橋本さんは致命的なミスを犯した。戦後50年の積年の価値観、つま り安全保証バカ、と金銭崇拝という二つの価値観の咎めがでたわけで、力の無くなった相手と個人的 信頼関係で諸問題を解決出来ると信じた甘さがあった。

すなわち、平和条約に代えて、平和"友好" 条約を2000年末までに結ぶよう努力する、としてしまった。友好善隣条約は範囲がぐーっと広く なって、領土問題から目をそらす結果となった上に、領土問題に対する何らの約束なしに、15億 ドルのアンタイドローンを供与してしまった。さらに翌年の川奈会談では、エリツインの機嫌を損ね てはと、領土問題を「国境線確定問題」と言いかえた。戦争から発生した不法な問題である領土問題 を全く中立的な表現にしてしまった上に、金さえやればとばかりに、70億ドルを御土産にした。 満足して帰ったエリツインが、辞めた後の回顧録に、日本人の最も嫌なところは「四島を日本のもの と思いこんでいることだ」と書かれるおまけまでついた。

そして、プーチン/森会談。森さんの隣に鈴木宗男がいた。日本側の意見不一致を見たロシアの働き かけで付いて行ったニ島返還論者で国を売るような政治家だ。この時、56年の合意内容を文書で 確認するという実にヘンなことを森さんがやった。なぜ、そんなに戻るのか、戻るなら93年で よかった。 真紀子外相は「原点は73年の田中/ブレジネフ会談」と発言している。父親への思い入れは判るが、 一国の外交責任者としては勉強不足。 李登輝入国問題も然り。日本は人類共通の友愛、人道を尊ぶ国であるとのメッセージを発信し続ける 必要がある。

ベトナムの出生異常双生児やサハリンのやけどの少年の例も有る。すぐに入国させる ケースなのに、「早まった、次ぎの政府まで伸ばせば良かったのに」とは角栄の日中国交回復、 一つの中国原則に囚われすぎ。真紀子外相は中国に、李登輝の再入国はさせない、と約束したようで、 角栄不遇時代の中国側の変わらぬ好誼に感謝するのはよく判るが、国の外交を家族としての感情で 対処するのは問題である。台湾問題も台湾の人達(8割は台湾人)の望むように、台湾の民主主義、 さらにアジアの民主主義を支持、支援することが、日本のとるべき道。 金正男事件もなぜもっと長く拘留して、行方不明者問題解決の材料として使わなかったのか。 絶大な人気を追い風にして、パニックに陥らず、感情的にならぬよう心がけ、一層勉強を続けて女性 外相として成果をあげてほしい。

皆さんも、個々の出来事に目を奪われること無く、真実を歴史の 流れに沿って全体像の中で捉えて、政治を監視するよう心がけて頂きたい。』 実際、極楽トンボに成り果てた(?)日本がこれからどう世界の競争場裡で立ち回るかは、大いに 懸念するところである。 台湾はグレイのままでいつまでいるつもりか、いられるのか、 中国はどう出るのか、米中の狭間で右往左往しないように、我々の問題として、考える必要がある。 今月台湾を訪れて痛感した。日本流の開発モデルをそのまま踏襲したような、三芝の高層マンション 群…、五千戸建てて八百戸しか売れてなく早くもゴーストタウンと化しつつある海辺のリゾートには 大変ショックを受けた。

三芝(サンツー)が李登輝の出身地であることと重ね合わせてゾーッとした。 アジア地域で真似される、憧れられる日本であるという事実を重く受け止め、自らを省みる必要が ある。中国との付き合い方、中国観も変えなければなるまい。大市場だとの餌につられてペコペコ頭 をさげ、その頭を叩かれてまた更に頭を下げる…、揚句の果てがすべて召し上げられて、残るのは 強大な競争相手となった中国だけ。経済のみならず、すべてに通じる話。 外国の視点で日本を眺めるとヘンなことが沢山ある。 羽田空港で国内線ターミナルから国際線へ移動するバスに乗ったら100円とられた。

途中、岩手で 寄り道しながら八甲田まで東北道で行ったら通行料が一万三千なにがし円。なんで、こんなに高いの? 一昨年の玄倉川キャンプ場で二十人近く死んだ事件、テレビで中継してたのに助けられなかった。 警察、消防、自衛隊、どうなってんの?!地下鉄のホームで殴る蹴るの暴行を受けていても誰も来ない。 その他、きりがないほどヘンなことがある。結局のところ、日本人の価値観を変えないとこういう 事態は変わらないのではないか。 ひとりひとり、おかしいと思うことはダンマリを決めこまず、発言してゆかないといけない。 それが、政治や社会を徐々にでも変えて行く早道なのだろう。
    
    ―完―  

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