読物の部屋その2
★ホンダ車の評判★   海外と日本の差 ーーー 長瀬記

最近のTVや新聞でも再三報じられてご承知と思いますが、この不況下にあって自動車産業の企業間勢力で明暗を分けたのは輸出競争力の差であって、特に世界最大の市場アメリカにおいて売れる車を持っているかどうかで決まり、我々のホンダはT社と共に他メーカーに大きく水を開けつつ有る事はご同慶の至りです。

先般狭山工場見学の際、2本の組立ラインで生産されていた 1,800台/日もすべてがアメリカ向けの車種でしたが、現にアメリカ市場では旺盛な需要に支えられ、HONDA車はブツ不足が続いているので Ohio工場のみでは供給しきれなくて、日本からの輸出でカバーしなければならないと伝えられますが、従って日本側の操業維持にも役立っている訳です。 さすがアメリカの好況もそろそろ翳りが出て来たとも言われますが、急激な冷え込みの無い事を願わずには居れません。

なぜHONDA車がアメリカで売れるのか? 彼地で見聞した範囲から小生の独断と偏見を交えて分析と推論を試み、皆さんに提議して見たいと思います。むろん此処に到るまでには先ず社是にも在るように基本的には宗一郎の「クルマ哲学」から出発し、社員一同の並々ならぬ広範且つ長年に亘る慎重・細心な多角的企業努力によって齎らされた成果で、一朝一夕に造り上げられた現象では無く簡単に説明出来る筈もありません。( 仮に、そんなに簡単に分析・調 査出来る現象結果であれば、疾っくにN社、M社などマネして追い上げて来たとしても可笑しくないでしょう。) 今後とも、是非この優位を続けて欲しいと願うのは小生一人ではないでしょ う。 そして、多少とも此れに参加し、お手伝いする余地は無いものかと、と考えている次第です。

それと、もう一つ、皆さんに問うて見たいのは、アメリカでは強い競争力を発揮するホンダが国内市場では何故他メーカーと大差無い結果しか得られないのか、と言う事です。 最後発メーカーとしての不利を未だに引きずっているのか、日本的?商慣習の為か、市場が違うためか、何故アメリカで評価されても日本では評価されないのか・・・、OB諸氏の自由闊達なご意見、提案をお聞きしてみたい、特に現役 時代に主張し、或いは主張できなかった点に就いてお聞かせ願えたら、と思い ます。 逆説的に言えば、どうしたら ホンダの国内評価をアメリカでの評価と同水準 に引上げる事が可能か、です。

ホンダ関連の諸兄姉ならば皆さん一度ならず経験された事が有る筈ですが、海外、特に アメリカ・カナダで聞く HONDA 乃至 HONDA 製品に対する高い評価は、OBとして非常に嬉しく、誇り高い思いをさせられます。 またホンダに在籍した事が有ると言うだけで、予想外の敬意と信頼を受けて戸惑ったことも再三ならず、そして楽しい会話の発端になったり、その後のビジ ネス展開に繋がった経験もありました。

彼等のHONDA に対する賛辞を要約すると:
1)品質が良く信頼性が高い。 とにかく故障しない。J.D.POWER の消費 者テストで何時も上位を独占する常勝軍であり、高品質カー・メーカー の印象が広く定着している。

2)操縦安定性が良く、運転が楽しくなるドライブ・フィーリングが嬉し い。ホントにクルマの機能とは何たるかを熟知した連中が設計したに違 いない。

3) モノ真似がなく、発想がユニークであり、鋭い感性と完成された高度のエンジニアリングが感じられる。

4) HONDA は此処十数年、自動車産業の“改革者” Innovator であり、技術革新のリーダーであった。 そしてアメリカの自動車産業にも大きな 変革の影響を与え続けた。

とにもかくにも、クルマが無くては日常生活が成り立たない彼等アメリカ人にとっては自動車に対する依存度は非常に大きく、広大な土地では時として生命に関わる危険にも直結するだけに峻厳な批判と選択が行われ、狭い国土の日本では考えられない角度と意義を持つのでしょう。 そしてHONDA 製品が彼等の厳しいメガネに叶ったと言えます。

ビッグ・スリーが自動車産業を牛耳り、アメリカばかりか全世界に君臨してい た1950から60年代は、自動車とは故障と事故の多い不完全な商品・交通手段であり、燃費が悪くエネルギーを無駄使いした上に不健康な排気ガスを撒き散らす公害の大元凶でもありました。 しかし、膨大な雇用を生み出し、広範な関連産業を抱えるアメリカ最大の産業であったから経済面での影響力は大きく、また強大な政治力が行使されて多少の不具合や欠点が有っても大きな社会問題化する事は無かったようです。

それが R. ネイダーが巨大会社GM を相手どって欠陥車裁判に勝訴したり、マ スキー法案が通って排気ガス規制が強化された70年代前半にホンダは自動車生産を開始し、アメリカ市場にも参入し始めました。 そこへ大きな神風(ホ ンダにとっては)が2度吹いたのです。 一つはアラブ諸国の反乱で起こされた第一次オイル・ショックで、町角から一 時的にガソリンが供給不足の事態に陥って、当時 CIVIC を発売したばかりで したがその燃費の良さから爆発的人気を博した事でした。 もう一つは、CVCCの成功でマスキー排ガス法案を第一番でクリヤーし、内外に 技術的盛名を高めた事で、Motorcycle で築いた上に四輪車メーカーとしての名乗りをあげる絶好の宣伝材料になりました。

HONDA を始め日本車の激しい輸出攻勢に曝されて、それまで売手市場にあぐら をかいて来たビッグ・スリーも、70年代から80年代前半にかけてどん底に落 込んで総崩れ、衰退の一途を辿り始めて目覚め、各社一斉に数百億ドルを投入して徹底した設備更新を一挙に行なう改革を実施して反攻に転じた経緯があっ たのです。 その結果、こと自動車生産に関してはメンツも誇りもかなぐり捨てて、工業ロ ボットを始め日本の生産設備を購入し、カンバン方式とかTQCなど日本式管理 システムを受け入れて生産体制を建直し、90年代に入ってようやく繁栄を取り 戻して未曾有の利益を計上するのに成功しました。

アメリカ車が改善され、日本車と変わらぬ品質・信頼度と燃費を実現したのも、激しい自由競争に曝されての結果である事は明白で、この競争を排除すべ きと考えている層は少なく、むしろこの変革をもたらした旗手 HONDA に対して敬意と親近感を持っている人が多いように感じられますが、身びいきでしょ うか? デトロイトの自動車殿堂に顕彰されている本田宗一郎の碑文にも "Innovator" としての功績が明記されているのも、そんな背景が有るように思われます。

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2年程前、シカゴからロスまでの機上で隣席の男性に話し掛けられました、 「貴方も自動車関係のビジネスか?」 と。 それは空港の売店で買い込んだ 自動車雑誌に眼を通していたからでした。 「元自動車会社の社員でした。」 と言った遣り取りと名刺交換から会話が始まって、ロス到着まで3時間余りずっと対話が続いたのですが、彼は全米最大証券会社のサンフランシスコ店の 副社長で自動車関連ビジネスへの投資顧問専門スペシャリストであると自己紹 介しました。

なるほど自分で Automotive Industry のスペシャリストと言うだけの事はあって、業界の内情についてクワしいことクワしいこと、アメリカ、欧州、日 本、韓国、ブラジル、メキシコ・・・・ あらゆる国の自動車産業にわたり現状分析とコメントを延々と聞かして呉れま した。 日本の各自動車会社に就いても小生の知らない情報まで把握していて驚かされ たり・・・・。

そして面白い打ち明け話を幾つか聞かされましたが、例えば初期のHONDA CIVICをバラバラに解体した FORD のエンジニア連中は、此れに匹敵するクル マはアメリカでは生産不可能だ、 理由は何処もこんな小さな部品を供給してくれるメーカーが存在しないから、と。 そしてHONDA はこれらのパーツ全部を Motorcycle の部品メーカーに造らせたに違いない、と報告書の中で結論付けたそうです。 ナニ、FORD・GMは日本メーカーとは異なって社内部品供給率が高く外注率が低いクセに、 つまり自分で生産する積極さと技術が無いだけのことだった、と のコメントでした。

日本車が“自主規制”の名目で輸出台数が制限されてから、日本側メーカーは 採算の良い高級車輸出にシフトし始め、T社の満を持して発売した LEXUS (日本名:セルシオ)が静粛性能と品格性で大評判を取ったとき、GM 社は CADILLAC の全出荷を差し止める大騒動になったそうです。 それは出荷前の品質チェックと総点検を全数遣り直して、LEXUSの高品質に対抗すべく大号令 をかけた為に、広大な工場のスミズミまで車の洪水で溢れてしまった。 そしてこの洪水の痕跡を解消するのに2年近く掛ってしまったと言う説明でした。

日本は安価な小型車が得意でも高級車生産技術は持っていないだろう、とタカ を括っていたGMの幹部連中は深刻な衝撃を受けて、「これは真珠湾攻撃だ !」 と叫んだそうです。 CADILLACこそが当時、唯一の収入源だったGM があんなに危機感を抱いた事は無かっただろう、とも言ってました。

やがてロスに近付いたので最後にスペシャリストの眼から見た HONDA の印象 を聞いたら彼は一呼吸置いて、「HONDA はタッタ10年で、タッタ10年で と二度繰り返した)自動車後進国 日本の Motorcycle Manufacturer から変身して、ACCORD と言うアメリカでのベストセラー・カーを生み出す自動車会社に急成長した、これは自動車産業史上希有の奇跡だよ。」と如何にも証券マ ンらしい答えが返って来ました。

では、ついでにTOYOTA に対するコメントは? と水を向けると、「彼等はタッ タ1年で、タッタ1年で( と二度繰り返した) LEXUS を発表してから CADILLAC もBENTZも Outsold (追い抜いて) して了った、なんたる迫力! 高級車でなくブルドーザーのようだ!」 と彼は締め括りました。

むかしむかし、たぶん1968年だったとおもいますが、故人の上田 登氏とアメリカ珍道中をした折に、矢張り飛行機で隣席の中年婦人に我々の職業を尋ねられたので、Motorcycle のHONDA の社員だと答えたら、( 日本人のくせ )そんな有名な会社に入れて、貴方達は余程優秀なんだろう、とお世辞?を 言われて 一瞬、返事に詰まった事がありましたが、まさに今昔の感あり、で した。   

  以上

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