読物の部屋その14
★素通りした韓国の点描記★    1999年6月24日(長瀬 英一)  

今年は近隣東南アジアずいておりまして、3月の台湾旅行に続き急にソウルの知人からの招待で、図らずも韓国旅行して来ました。 来月からはアメリカへ数ヶ月出掛けるから今月中に来ないかとの誘いで慌ててソウル行きを予約したのですが、驚いた事に韓国行きが超満員で6月中はキャンセル待ちでも到底無理だろうと聞かされたのです。  

成田・ソウル間は毎日6航空界社で14便もあるのに、釜山行きも全部満杯、 そして大阪や福岡などローカル空港からも空席無しとは全く驚きでした。 それと言うのも最近の海外旅行は安・近・短に人気が出ている由、そして韓国は換算レートが比較的有利と言う事もあって、買物好きのオバさん達がドット押寄せた結果だろうと聞かされましたが、真偽のほどは判りません・・・。 それで予約が取れないからと謝辞したところ、先方は大韓航空に“カオ”を利かせた らしく航空券が送られて来たので、喜んで15日に出発した訳です。 丁度、朝鮮半島西海域で北鮮と韓国との小艦艇が蟹漁水域の争奪を巡って物騒な 銃撃戦の小競合いがあった当日で、 両者が砲火を交えたのは朝鮮戦争以来始めて との事、でも首都ソウルでは全く緊張は見られませんでしたが。

<< 南北対立 >>
 
2時間のフライトのあと入国審査に1時間以上かかり、待たせた招待主に案内されて東北海岸の景勝リゾート地に向けて半島を車で横断、約4時間掛かって目的地に到着しました。 道路が可成り整備されてる事と、郊外は交通量も少ないために短時間で横断出来た訳ですが、やはり国土の狭さを実感させられたのも事実です。 そして東岸に着いて驚いた事は、海岸線全部に鉄条網が張り巡らされていて、これが南端の釜山まで数百`、延々と続いている厳しい現実を目の当たりにし、半世紀以上対峙して来た朝鮮民族の悲運に否応無く対面させられました。  

至るところで完全武装の兵隊が警戒体制に就き、数キロ毎に車を止めて検問を繰り 返していましたが、現地の人々には慣れっこでも旅行者にとっては不気味です。 完全舗装のハイウエイも、地峡など要所要所にデッかいコンクリート塊を爆破で下へ 転げ落として対戦車障害物にする装置があちこちに用意されていました。 美しい砂浜や島影に恵まれたこの海岸線に、何時になったら人が自由に出入り出来る のだろうか、と暗澹たる気持ちにさせられたのは旅行者の感傷だったでしょうか!?  

翌朝 案内された北限の境界線展望台(統一展望台)からは、名勝地金剛山の一部が 遥かに望見され、帰郷叶わぬ北鮮出身者が胸を熱くして近くて遠い故郷を忍ぶ場所に なってますが、2キロの緩衝地帯の彼方は車も人も全く見当たらず、修学旅行生の団体でワイワイ賑わっている南側とは対照的でした。 現実に当日銃撃戦が行われていた西海岸から僅々数百`とは到底考えられぬ静かな東海岸で、また始まったかと言った程度の反応しか見せない韓国人は、金剛山訪問の豪華観光船を支障無く運行させていましたが、彼等のズブとい神経に敬服した次第。  

最近国内政治でかなり苦境に立たされている金大中大統領は、この侵犯で救われたとする見方と、そうではないとする見解が入り乱れてるそうですが、彼の主張して来たいわゆる“太陽作戦”には支障なく、対北朝鮮融和政策は継続される方針のようです。 日本で騒がれているテポドンには彼等は歯牙にもかけず、北鮮の旧式で貧弱な兵器 装備は、韓国の豊富で訓練の行届いたハイテク兵器と潤沢な補給の前には直ちに粉砕 されて了うと考えられ、軍事的衝突に対しては余り神経質にはなっていない様子で、 それが今回の海上衝突事件でも強行策に踏み切った自信の背景が有りそうです。  

むしろ韓国人が今最も恐れるシナリオは、戦争など緊急事態発生で数百万単位の飢えた難民が大挙して南下して来る局面で、彼等を一時に受け入れる事は到底不可能、折角此処まで営々と築き上げた韓国社会の繁栄した経済基盤も一朝にして崩壊し、世界経済社会から取り残される事態に陥る事です。 (彼等難民はボートで日本にも必ず押し寄せますよ、と真顔で警告?されました)  

それを未然に防ぐためには、不可解で挑発的、身勝手で姑息な手段を弄する彼等の行動には辟易するし、甚だ不快でイマイマしいけれど、いま此処で北鮮を援助しなけ れば将来的には更に高くついて禍根を残す、と言う彼等なりのシタタカな計算の結果から結論付けられた宥和政策のようです。  

喩えれば粗暴で頭の悪い弟が権力欲に取り付かれて悪辣かつ理不尽な暴力ヤクザへ道を踏み外し燐家に棲み付いているような状況で、激しい兄弟喧嘩のあとも始終タカ られっぱなし、イヤがらせのされっぱなしでも身内として突き放せない因果関係と、 家庭を顧みない当主が腹を空かせた子供を放置してるのを可哀相で隣人・親戚として見殺しも出来ないこと、また、いずれボスが消え去ったり、排除されたときには立ち直るチャンスがあるかも、と淡い期待を抱いているのに似ていると感じました。

<< 韓国の生活状況>>  

“お客様”扱いの4泊5日観光旅行では一般生活状況まで観察する事は不可能ですが3年前アジア各国を襲った経済不況は韓国にも深刻な影響を与え、財閥の再編成を含む経済改革を余儀なくされて所謂 IMF体制に辛吟する現在ですが幾分上向いてきた気配があるようです。 (まさか日本のオバちゃん連の買物パワーが韓国の国際 収支を改善した? まさか・・・ですよね!?) 街ではピカピカの新型車も沢山走っており、都心の盛り場やデパートでは一般客で込合っているし、平日でもリゾート地は個人・家族・団体客が高級車で乗り付けて来るし、少なくとも旅行者には不景気風など何処吹く風と見受けられました、少なく とも表面上は。  

景気刺激策としての財政投融資が活発に行われている所為か、道路拡張・建設や 架橋工事を始め大規模建設工事が韓国全地域で展開されて、至るところで掘り 返されていましたが、中には「エーッ、どうしてこんな処にも?」 と言う場所でも大工事が行われているのを目撃しました。 例えば北鮮との境界線に近い無人地帯でも。 あたりには産業や住居も見当らず、 物流もない筈の地域でした。 ナーニ、統一された時の南北交通に必要ですから・・・、だそうです。  

今回は何処に行ってもスラム街は見る事が出来ませんでしたが、これは他のアジア 諸国と比較するとき、特筆すべき進歩発展で、それはシンガポールと韓国のみです。 国境近くに日本では例を見ない大規模なニュータウンが建設され、高層アパート群が林立している状況を望見すると、北の脅威も意に介しない韓国人の自信と将来への希望を垣間見た気がしました。  

あちらこちらに超大規模な住宅団地が主として民間資本の手で建設され、1戸当たりの間取り平均は日本より約20%広く、価格は3〜50%くらい安いようで、住宅 政策は全般的に我国よりは成功していると見受けられました。 少なくとも、日本のように個人の過剰な権利主張がまかり通る土地政策はこの国には存在しないようで、住宅に限らず空港・道路でも大規模建設が比較的容易に短時間に開発出来るようです。  

もう一つ、韓国の国土建設計画が上手く行ってるな、と感じた事があります。 それは数年前に比較して山野の緑が格段と深くなったこと、樹木が全般に大きく 育って来た事です。 ( 山野の立木を乱伐した結果 常に洪水を発生させ国土を 荒廃せしめて、今日の深刻な食料不足を招いた北朝鮮とは全く対照的 ) 以前は韓国と言えば禿山の地形を思い浮かべたものですが、現在は全国何処へ 行ってもグリーンに覆われた豊な山河に変身しておりました。 勿論、ここに至る までには半世紀に及ぶ長期的な行政機関の指導・監督があったと聞きます。

<韓国の自動車事情>  

この国も今や完全にモータリゼーション社会に移行し、4500万人の人口で1千万台を超える保有台数になったそうです。 何処へ行っても四六時中交通渋滞しているのは世界共通の悩みでしょうが、目下急ピッチで道路の拡幅や新規工事、更にハイウエイの建設など、渋滞解消に躍起になっていますから、 その内かなり改善されると期待されます。  ベンツとBMWを数台見かけた事はありましたが、ことクルマに関しては韓国人は大変な愛国主義者のようです。 官民挙げてミゴトに外車を締め出しております。 十数年前、ドイツ人記者が東京で流れる車が殆ど日本車ばかりだったのを見て、 これはオカシイと指摘したのが報じられた事がありました。
あの時は余りピンと来なかったのですが、いまソウルに走る車の99%が韓国車で、 日本車はもちろん米車やヨーロッパ車を丸っきり見かけない状況は、これはチト異常だと感ぜざるを得ませんでした。
しかし一部の欧米車が輸入されているだけで韓国製などは皆無に近い日本市場の 排他性?も大同小異で、決して誉められたものでは無いんでしょうね・・・。  

以前、韓国電機メーカーの社員が秋葉原に常駐して、日本メーカーの新製品や売れ筋情報、人気具合などを逐一本国に報告している状況を報道したTV番組を見ましたが、自動車に就いても同様な情報連絡員が存在するのだろうと思えるほど、日本車に酷似したクルマを沢山見かけました。  

旧型アコードがいた、と思ったら Hyundai のソナタだったし、オデッセイや CRVのソックリさんも・・・。 ま、日本もかってはそんな時期が有ったし、何処 でも当初は模倣から始まるのでしょう。 いや、現在の日本でも売れるとなれば 恥じも外聞もなく後追いし、コピー商品を送り出す事が日常茶飯事で繰り返されていますから、他国を論ずる資格は無さそうですね。  

かっては4社在った自動車メーカーも最近はHyundai と Daewooに収斂 され、現在この2社が鎬を削って市場を争っています。 いま熾烈な競争を展開いるのは日本と同様に軽乗用車で、それぞれ Atoz と Matiz と名付けられ、両者とも800cc ですが税制その他数々の恩典が与えられて小売価格も400〜700万ウオン (43〜76万円)。大きさは軽自とロゴやサニーとの中間で、安全で大人が4人ゆったり乗れる、が謳い文句。  

スタイリングはヨーロッパ小型車と日本軽自動車のミックスした感じで、FF駆動の 背高構造ですが、パワステやエアコン、ABS さらにエアバッグまでオプションで用意され、ダッシュボードも機能的、ツマミやコントロール関係は国際標準採用、 わかり易く操作も簡単。 インテリアも驚くほど洗練された設計と加工で、最近 ヨーロッパに輸出が開始されて好評だそうです。  

日本の軽自動車の660ccなんて中途半端な排気量を踏襲せずに、欧州基準の 800〜1000ccにしたのは賢明な選択だと思いました。 近い将来、日本車の強力な競争相手となる車種に育つかも・・・。 矢張り小型車がキッチリ造れる様になれば、韓国の自動車産業も一人前でしょうね。 それにしても韓国自動車の日本に対するライバル意識は大変なもので、日本があれだけやれたのだから、我々も出来る筈だと頑張っているようです。 尤も自動車に限りません、あらゆる産業と分野に於いて言えますが・・・。  

Hyundai の最高級車 Dynastyに乗せられて丸2日間移動しましたが、 V6の 3、500ccで外見・パワートレイン・インテリアなどトヨタのセルシオに負けない重厚さと静粛性、加速性能それに快適な乗り心地で、正直言って驚きました。 3年前に乗った旧型車に比べて格段の進歩がみられ、洗練された仕上がりです。 価格は4、500万ウオン、約500万円だそうです。  

それらが輸出されてるとは聞きませんし、国内需要のみでは生産台数が上がらず 採算的にペイする筈が無いのに、彼等の威信にかけてフラッグ・カーを生みだそうと するメーカーの情熱と意志を見た思いがしました。 それが Daewoo、KIA そして Sumson 社も同様に高級車生産している のだから驚きです。 そう、横並び競争は日本だけのお家芸?では有りませんでした!

<<済州島ーCheju>>
 
ソウルから1時間のフライトで日本海に浮かぶ観光島、Cheju へ。 南北40` 東西90`の楕円形島で、看板類がハングル語で書かれていなければ佐渡か 北九州の何処かと錯覚するほど日本の街角に似た佇まいでした。 空港からまた1時間弱車で南下すると、突然ハワイか地中海沿岸のような 垢抜けしたリゾート地が展開されます。 中文観光地区と言って、5ツ星の豪華ホテルが林立し、ゴルフコース、海水浴場 ビーチ、乗馬、テニス、カジノ 等等の設備が取り揃えられた、静養型リゾート地。  

韓国の新婚旅行の90%が此地を訪れる人気場所の由、その点はかっての宮崎市みたいですが、Cheju はもっと洗練され、国際的というかエキゾ テイックな保養地に仕上がっています。 一般韓国人にとっては決して安くない宿泊費でしょうが、日本と比較すればそれ程高いとは感じられませんでした。 ホテルの食事も朝食は何処も豪勢なバッフエが主流ですが、これはお値打ち。 昼、夜は洋食、韓国、日本料理と幅広く選択でき、値段の割には内容も上等の様でした。 むろん安くて豊富で新鮮な魚料理やシーフードが何時でも楽しめます。  

梅雨はこの島もスッポリ包み込んでいましたので、雨に降られてアウトドアの楽しみ は奪われて仕舞いました。 そこでホテル内の完備したGYM を利用し、たっぷり汗を流して運動不足をカバー。 あとは豪華で美しいホテルの施設でノンビリ・ゆったり、至福の時間と空間を味わい つつ韓国の友人と楽しく有意義な会話を楽しみました。

<<ある韓国人のプロfァイル>>
 
先方は現代財閥傘下のタンク・ローリーを数十台運行する油送会社のオーナーで、 戦前の旧制中学で教育を受けた秀才( 当時の公立中学は日本人子弟優先入学で、 朝鮮籍の学生は余程優秀でなければ入学出来なかった) 殆ど来日された経験も無いのに拘わらず立派な日本語を話し、読み書きをされる同年輩の李さんです。 かれこれ10年前、ロングビーチのゴルフコースで識り合って以来のお付き合いになります。  

元々北鮮出身で、朝鮮動乱の真っ只中家族と離ればなれになって南鮮に逃れ、 その後韓国海軍の砲術仕官となって長らく軍隊に奉仕してから、政権交代で出世の芽を摘み取られて退官、その後実業界に転身した数奇の運命を持つ立志伝中の人物です。  

昨年、北鮮に残っておられた実母が飢えのため亡くなった、との報を得て非常に悲しんで居られました。 まだ兄弟姉妹、親戚が沢山向こうに住んでいて、何と 援助したくても方法が無いそうです。 分断民族の悲哀を味わいながら、他方、彼が今日在るのは自由経済の申し子で運悪く北鮮に居残っていたら、現在の成功は望むべきも無い事を本人も周囲も みんな良く認識されている、幸運の人でもある訳です。  

いまでは事業を長男に継がせて、子供や孫達をアメリカにも住まわせ、彼等夫婦は 両国間を定期的に往復しながら悠々自適の生活に入りつつある、結構な御身分のようです。 そんな尊敬すべき友人の招待で今回の韓国旅行が実現しました。 ですから、普通の観光コースでは先ず行かない、見られない、多くの場所を訪れる事が出来ました。

  以上。

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