読物の部屋その13
★台北の街角見聞記★      1999年3月9日(長瀬 英一)

33年ぶりに台北を先週訪問、4泊5日と言う短い滞在でしたがその印象を報告します。 古女房と二人連れの気侭な観光旅行ですから、目的意識も別に有った訳でもなく、気付いた事柄を間延びした記憶を辿りながら書いて見ようと思います。 ここ数年沈滞しているアジア諸国の中では、比較的堅調な経済発展を持続 している台湾ですが、若干翳りも出て来たと言われてもそんな気配は全く感じ られ無い、活気溢れる首都の台北でした。

<<バイクの氾濫>>
先ず眼に入ったのは、奔流の如く一日中車道を流れるスクーターの洪水です。 何処から湧き出したか、ハンランするバイクの群れが自動車の間を3列・4列の 横並びで爆音を轟かせながら60〜70Kmのスピードで疾走し、途切れる事が無いのです。 いや表通りばかりでなく、裏通り・路地・歩道、到るところ走り 回り、侵入し、駐車していますが、その夥しい数に圧倒され、呆れ果てました。 そして日本の駅前付近で見られる無秩序な放置自転車の様に、街中何処でも 隙間があればバイクが例外なく放置され、まともに歩道を歩く事など不可能です。
(他方、市内では自転車は殆ど見掛けませんでした。)

900万台と言われる保有台数のバイクは3人乗り・4人乗りも珍しくなく、完全に庶民の足に成っており、老若男女を問わず台湾市民の基本的交通手段です。 SYM (三陽モーター)と KYM(光陽モーター)は共にホンダ系で台湾独自のスクーター型モデルで50〜60%、ヤマハ40%、スズキ10%の市場シェアと 言われますが、時折稀にイタリア車を見かける程度でした。 100cc前後の機種が多く、そして大半がセルモーター付きですから、キック スタートしている光景は見られません。

殆どが2ストローク・エンジンの筈なのに不快な排気ガス臭気は感じられずまた騒音も可成り低くて、タイの首都バンコックの様にバイクとデイーゼル車の排気ガスで街全体が何時も紫色に煙り、轟音が町中にこもっていたのと比較すると、台湾は環境規制が可成進んでいる印象です。 無論ヘルメット着用は強制化されており、前後に乗せられた子供達も例外なく みんな着用してました。

タクシー運転手によればバイクの交通事故も多く、特にスクーターは車径が小さいから雨が降ると危ない、と話してくれました。 しかしそれが台湾の外科医 の大事な収入源で、もしバイクがみんな自動車に移行したら、彼の息子も他の医療科目に転身しなくてはならないと、笑っていました。 幸い天候にも恵まれた所為でしょうか、我々滞在中には交通事故現場に出遭う事もありませんでしたが、警官がバイクを止めて違反切符らしき?ものを書いているのを2・3回見ました。

<<自動車事情と交通>>
台湾は人口当り世界第一位の外貨保有国であり、GNPはアジアでは日本に次ぐ第二位ですから、生活水準向上に伴って当然自動車の保有台数もうなぎ登りに増大し、ピカピカの新車がバイクを押しのけて狭い街路を走り回って居り、あまり古いオンボロ車は走ってはいませんでしたが、ボデイはかすり傷だらけと言う 手入れの悪いのも沢山見掛けましたが、 狭い道路と、あのバイクの氾濫ではキズを付けないのが無理と言うもの。

新車の市場占拠率ではトヨタが第一位、ホンダとニッサンが第二と第三を競い 合っているそうですが、街角で見た限りではフォード(マツダ)と三菱が結構健闘 していました。 日本車の圧倒的シェアは地理的に当然でしょうが、数年前に実施 された自動車の輸入自由化に伴い、ヨーロッパ勢も元気で、ベンツ、BMW、 ワーゲン、ボルボ、ルノーなどもかなり浸透し始めて来た印象です。 商用車のVANを除いて 未だRV車両の普及は低く、それでもホンダCRVを数台街中で見かけたましたが、これからの成長車種に成りそう。

台北のタクシーは全部黄色で目立ち、全車小型の単一料金で、初乗りが50元 (200円弱)プラス20元のチップで非常に安く、市内なら何処でも100元内外と日本の1/3程度で台数も多くて便利、観光客には有り難い存在です。 年配者の運転手なら大抵日本語を理解し、若くてもみんな漢字のメモをみせれば OK,確実に行先へ連れてって呉れます。 但し日本演歌のテープを持っていないタクシーは1台も存在しませんでした。 そして演歌オンチの小生は、彼等のテープ 演奏特別サービス?に毎度ヘキエキさせられたものです。

タクシーの車種はトヨタとフォードが多く、シビックとシテイ も相当走っていました。 (シテイは恐らくタイ製と思われる機種で日本では見られない、シビックをベースに したアジア・カー構想のモデル) 成るべくホンダ車を選んで乗ってましたが、「オッ、これはホンダ・シビック、良い クルマだね!」 とお世辞言ったら 「これシビックでないよ、アコードだよ、もっと 高級なんだヨ」 と威張られました。

ホンダ車のタクシーはアメリカ・ヨーロッパや他のアジアでも殆ど見たことはなく、 数年まえドイツ、フランクフルト市内で1台だけ見かけた記憶があるのみです。 そうそう、2・3年前にNY市内でホンダ・オデッセイが数あるアメリカ車との比較 の結果、タクシーに採用されて話題になり、CNNで報じられた事も有りました。 (クライスラー社が噛み付いたらすぐ反論し、「採用したくなるクルマを作れ」と 逆ネジ食らわせてたのが印象的でした。 たしか乗用車のような4ドアが彼等の選択肢に適ったと記憶してます。)

バスは値段も安く、路線も多岐にわたり、頻度も多くて庶民に親しまれているようですが、観光客としては便利なタクシーについ頼って仕舞い、乗る機会も有りませんでしたが、広い幹線道路にはバス専用レーンがあって、混雑する 一般車線を尻目に公営バスがスイスイ走り去って行くのを目撃しました。 地下鉄、モノレールなどの大量乗客輸送は、ようやく端緒に就いたばかりで 日本の様に四通八達し、通勤通学買物などの日常生活に不可欠な存在に成るまでは数年を要するだろう、と聞きました。

<<観光スポット>>
ちょうど旧正月の最終日にあたるとかで、中正(蒋介石)記念広場で提灯祭りが開催されると聞いて行ったは良いが、数十万の人混みに恐れをなして会場もロクすっぽ見ない中に倉皇とホテルへ逃げ帰って仕舞いました。 十二支の 「うさぎ」 が今年のテーマで、相当数の山車が用意されてましたが 遠眼に見たに留まりました。

「故宮博物館」 は台北最大の観光拠点です。 太平洋戦争で日本軍の崩壊後、中国大陸では指導権争いが内戦に発展し、 蒋介石率いる“国軍”が毛沢東の共産軍に追い落とされて、台湾に上陸した際に北京の故宮宝物殿から“戦火を避けるため”持ち出した秘宝の数々が中国文化の粋を語るものとして展示されています。 めぼしい歴史的な美術工芸品など、根こそぎ蒋介石軍がカッパらって行った、 と北京本場の故宮博物館では恨みを込めて非難していたパンフレットを読んだ 事が有ります。 それが、今回訪れた理由の一つでもありました。

台湾の言い分は、中国5000年の伝統遺産を戦火から守る為の必要措置だった、共産党支配の本土では、例えば紅衛兵騒ぎの時に破壊されていた かも知れないと説明していますが、どちらの言い分が正しいか、今後中国の政治と歴史が答えを出して呉れるでしょう。

展示品は在庫のごく一部だそうですが、克明に観るには数日を要するとか、 そんな時間も有りませんし、第一体力を必要とします。 (何かで読んだのですが、人間の集中力は2時間が限度で、それ以上保持することは生理的に困難であるから、美術鑑賞、演劇、映画なんでも2時間までに した方が良いそうです。)
恥かしながら東洋書画、工芸品、骨董品、陶芸品、民族家具などに興味がある訳でもなく、歴史、考古学に格別知識の持ち合わせがある方でも無かったので、 それら宝物群の前を素通りする程度の早さで歩いたに過ぎませんでしたがたっぷり 3時間は掛かりました。
ブタに真珠のたぐいでしょうが、それらの文化的価値は全く判りませんでしたが、 貴重な人類共通財産であろう、と理解は出来たような気がしました。

その他の観光地はカミさんに引きずられるまま、右往左往したに過ぎません。 緑濃い亜熱帯の自然を満喫出来る何処かへ行きたかったのですが、ちょっと 時間不足でした、いや準備不足でした。

<<台湾の食卓事情>>
台北は周辺都市を含めると人口2千万を超えるメガロポリスですが、全体が大阪の“食い倒れ横丁”をウンとでっかくしたような都市で、到るところに中華料理屋、レストラン、食堂、ファストフード店、食品店、一膳飯屋、コンビニ店 が軒を連ね、ホテルとデパートは必ず多数のレストランと食い物店が同居してお り、 そして横丁という横丁には無数の屋台が営業しています。 台所の無い家も多く、毎日三度三度外食する家庭も少なくない由ですが、その方が安く上がるとか、それを聞いたカミさんは羨ましそうな風情でした。

滞在中は朝から夜まで中華料理のみに徹し、高級店から屋台に至るまで毎日食べ歩いたわけですが、高くても安くても、それ相応に美味く、腹をこわす事も無かったし期待を裏切られる事も有りませんでした。(ただ、持病の痛風が気に なって充分食べるわけにも行かなかったのが、食いしん坊としては残念無念。)

とに角、中国人達の食に対する執着はモノ凄く、都市全体がグルメ・タウン化 されている印象です。 (そのクセ彼等には肥満体が殆どいないのは、矢張り ウーロン茶飲用の効果でしょうか?) これが彼等活力の源泉は食にあると実感しました。

<<中国語・日本語>>
日本の当用漢字が制定される前の古い“伝統的”漢字が台湾では使われていますが、戦前の教育を受けた世代には懐かしく、もちろん読むことが出来ますから、街中埋め尽くされた大小様々な看板も漢字で書かれていれば意味が判り、 現地新聞もだいたい大筋は掴めて、中国本土の日本とは違った略字よりも余程理解できました。 「美国牙博士診療所」 (アメリカ歯科博士の診療所)、「日式 便利店」 (日本式コンビニ店)などなど。 もっとも、「この看板よく判るな」と何気なく読んでいたらそれは全部日本語で書かれて居たのでしたが・・・。

多くの台湾人は日本語を理解できますし、特に戦前日本の統治時代に教育を受けた世代の人々は、我々が日本人だと判れば見事な日本語で懐かしそうに話し掛けてきますが、おそらく昔の不快な思い出もある筈なのに、そんな事は オクビにも出さず応対してくれます。 同じく日本の植民地時代を経験した韓国の人々の冷やかな反応とは対照的に感じました。

とに角至るところ日本語は氾濫しており、日本の流行、日本の食べ物、日本の製品に取囲まれて違和感がないのです。 普通の玩具屋の商品には台湾製でも日本語がパッケージに印刷されていましたが、これは日本市場への輸出を前提に生産されている為と、日本で売れてる商品が台湾でも受入られ易いことによると考えられます。 「のし烏賊」 とか 「おせんべい」 も同様でした。

ホテルでは NHKのBS放送で何時でも日本語のニュースその他が見られます。 CNN等も日本経由で入ってる所為か、時たま日本語で放送があったり、字幕 が出たりします。

放送衛星は日本の南方洋上に静止しているので、台湾でも非常に明瞭に受信出来ますが、これも彼等の日常生活に日本語が入り易くする環境を作っているのでしょうか、彼等としてはメイワクかも知れませんが・・・。 (ソウルはかなり北部に位置するため、太陽光線が電波を吸収するので夜間 しか明瞭に受信出来ないにも拘わらず、NHKBS放送は日本の文化的侵略であるとクレームをつけていた韓国の新聞社がありました。) 漫画は勿論、日本の民放人気番組も沢山現地放送に流されているらしく、一部 の歌謡曲を除く大半は中国語に吹替えられており、日ごろ良く見るタレント達が中国語でワメいていたのはお笑いでした。

<<ホテル事情>>
ホテルのビジネス・サービスにあるCPUを賃借して、E−mailを仲間に発信してやろうと思ったのですが、何時もアメリカ人のビジネスマン達に占領 されていて中々チャンスが有りませんでした。 (以前、NewsWeek 週刊誌に台北の Cyber−Cafe なるものを紹介していた記事を読みましたので、そこから発信してやろうと探したのですが、 既に半年ほど前に閉店したと聞かされ、断念せざるを得ませんでした。)

カリフォルニア州のシリコン・バレーは台湾とインドの企業家達にとって格好の舞台を提供していると言われてますが、それらしき人物の交流がホテルでも頻繁に交差しているのを見聞しました。 ホテルのレストランで朝食ブッフェを食いながら声高に英語で喋っている連中の会話内容は電子回路の議論でした。 なにしろ彼等は声が大きいので、こちらは聞きたくなくても否応なく聞こえてくるので仕方がありません。 好景気に沸くアメリカと直結するルートを持つようになった、台湾電子産業の実力を垣間見る思いがしました。

それあらぬか、一般物価はそれ程高くもないのに台北のホテル料金はあまり安くはなく、それでもアメリカ人旅行客がかなり多いのです、ビジネスマン風の。 最近の不況でホテルが大幅な値下げをしたと伝えられるバンコックや香港とは事情が違うようです。 無論悪名高い日本人観光客は一時より大分減ったとは言え、やはりホテルにとっては掛け替えないお客であり、団体御一行様の幾つかが占拠してました。 (ホテル地下や空港のDFS・免税店は相変らず日本人達で大混雑でした。)

       以上

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