八柱神社 |
語り部の説明 |
紀州公句碑 |
八柱神社(大内山村の氏神様)で熊野古道の歴史を聞く
熊野古道は熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)に参るための道。伊勢から、吉野から、高野山から、そして京都からと幾筋かのルートがあったが、代表的なものが紀伊半島を西回りする「紀伊路」と東回りの「伊勢路(東熊野古道)」であった。
=74歳語り部 久保さん=
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禅龍寺で |
ここより古道登り |
ツヅラト峠案内 |
古来より、熊野灘は苦行の代名詞でもあった。岩山が海岸線にまで迫る紀伊半島は峻険で雨が多く、峠越えの難路には土砂の流出や道の崩壊を防ぐための石畳が敷かれている。
狭い石畳道を、多くの旅人が一列になって歩く姿は"蟻の熊野詣"とも称された。そして、そういった峠道の傍らでは、志半ばにして生き倒れた巡礼たちの墓碑が静に見守っているのである。険阻さゆえに開発から逃れた熊野古道は現代人の癒しの道として甦った。深い緑、清らかなせせらぎ、路傍にたたずむ史跡や石仏...。苔むした石畳を踏みしめて。いにしえ人のロマンに触れてみよう。
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最後の登り |
峠の檜林 |
ツヅラト峠 |
かって伊勢と紀伊の国境であった峠。伊勢から熊野へ向かう旅人は、この峠に立ってはじめて熊野の海を目にした。昔は遠く伊勢神宮参拝後、熊野詣でに向かった人は、瀧原宮を過ぎたこの地で初めて熊野灘を見たことになりますツヅラとは九十九折のこと。
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峠の頂上で |
鹿よけの若木 |
野面乱層積の石垣 |
頂上には東屋があり、一服するのに丁度良い。 昼食を取りながら標高357mの頂上から熊野灘を眺める
かつて伊勢と紀伊の国境であったツヅラト峠からは、紀伊長島の海が一望できます。峠を越えると、紀伊長島町志子への下りはカーブが連続し、木立の中の石畳の道を下る。
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安全を感謝 |
炭焼き窯の跡 |
石畳の道 |
峠から一気に海抜0mの紀伊長島町志子地区まで九十九折のくねくねとした石畳の山道を下ります。それでツヅラト峠という名前がつきました。敷き詰められた石畳には、古人の情念や生活臭が塗りこめられてこぼれ日の中で、光って見える。
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花広場 |
めだかの分校 |
鹿、猿よけネット |
里に降りて下りは快調、足取りも軽快に坂を進み1時間で紀伊長島駅へ無事到着、トータル歩行5時間で総歩数:1万9千歩のロングコースの熊野古道の歩きでした。今日の参加は51名
帰りの列車では皆さんほど良い疲れで一眠り!楽しい一日に感謝!
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