七年に一度の盛儀
善光寺御開帳
安曇野 犀川 水車小屋 
六善光寺同時 御開帳  七年に一度の盛儀
夜の善光寺お参り (5月29日午後八時〜) 夜明けの善光寺お参り (5月30日午前四時〜)

信州 善光寺 甲斐 善光寺 飯田 元善光寺 岐阜 善光寺 関 善光寺 祖父江 善光寺
長野県長野市元善町 山梨県甲府市善光寺 長野県飯田市座光寺 岐阜県岐阜市伊奈波通 岐阜県関市西日吉町 愛知県稲沢市祖父江町
 644年に建立されたと言われるこの信州善光寺は、特定の宗派をを持たず、特に江戸時代には男女平等な救いを説く寺院として女性参詣者を多く集めたことが特徴の寺です
・回向柱に触れる
・前立本尊参拝
・お戒壇めぐり
・御印文を頂戴

重文善光寺三門(山門)は40年ぶりの特別拝観
 武田信玄が1558年(永禄元)に川中島の合戦で長野の善光寺の焼失を怖れ、本尊以下諸仏寺宝類を移したのが始まりです。江戸時代に再建された撞木造の高さ27mもある金堂と、朱塗りの山門は必見です。また宝物館では信州伝来の什宝を多数ご覧頂けます
金堂中陣の鳴き龍は日本一の共鳴
 木彫りで「善光寺」と同じ御尊像が残され「元善光寺」と呼ばれるようになりましたが、仏勅によって
「毎月半ば十五日間は必ずこの麻績の古里に帰りきて衆生を化益せん」というご誓願を残されたとのことで、長野の善光寺と飯田の元善光寺と両方にお詣りしなければ片詣りと昔から云われるゆえんであります
 武田信玄によって甲斐へ移され一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)を天正十年(1582年)織田信長が岐阜のこの地にお招きになり岐阜善光寺を創建してから、本年で427年目なります。半世紀以上にわたり、秘仏としてそのお姿を拝むことが出来なかった本仏様の御分身である岐阜善光寺御本尊・善光寺如来の帳があがる  大仏殿にある岐阜県最大の木造物といわれる弥陀来迎の姿は珍しく,丈六の如来像、脇侍の観音、勢至の二尊の正座をした居住居は、遠く平泉中尊寺から海路を利用して将来しております。また、
日本唯一の卍戒壇めぐりもあります。本堂は、長野善光寺とそっくり三分の一の大きさで、ミニ善光寺と呼ばれる所以です。
 大正十年(1582年)、織田信長によって善光寺本尊如来が岐阜より尾張甚目寺へ御遍座の途中、祖父江附近に立ち寄られたとあります。明治四十二年、三年と蓮田であった境内地に、一本の葦から二つの花が咲くという奇瑞を縁として、開基旭住上人が信州善光寺本坊大勧進より善光寺如来さまを勘請して、祖父江善光寺を創設しました。
極楽浄土の戒壇めぐり
=六善光寺 御開帳 案内パンフより=     
5月30日(土) 5月29日(金) 5月29日(金) 5月9日(土) 5月9日(土) 3月31日(火)